nach meiner Meinung

「わたしの意見では」。主にジェンダー領域に関わるような話を、学問レベルには足りないくらいのところで書いていきます。

呪われた心霊動画XXX10がつらかった話

このブログのテーマとはずれてしまうので増田に書こうかとも思ったんだけど、別に匿名にしたいわけでもないしわたしが書いたって一発でわかると思うのでこっちに書きます。※ちなみにネタバレありなので気を付けてください。

言いたいのはタイトルの通り。
1からずっと追っている傑作心霊DVDシリーズ「呪われた心霊動画XXX(トリプルエックス)」。
ずっとツイッターで騒いでいるので知っていただいているとは思う。
このシリーズがいかに面白いかという話については、現在評論同人誌を鋭意作成中なのでそちらで十二分に語るつもりだが、その最新作である「呪われた心霊動画XXX10」が本日発売&レンタル開始である。 

呪われた心霊動画 XXX(トリプルエックス)10 [DVD]

 当然前日=店着日である昨日、フラゲならぬフラレンタルして見たわけだが……。

 

これはXXXなのだろうか………。

 

正直、見る前から不安はあった。だって今までとジャケットが違いすぎる。

呪われた心霊動画 XXX(トリプルエックス) [DVD]

↑これが一作目。
ただ、これは意図的なものだと思っていた。
こう、あえて、チープっぽい雰囲気にしつつ、そのチープさをうまく恐怖つなげてくるんだな、憎いねこの、と。
でも違ったようだ。
おそらくだが、監督が変わっている。スタンス、タッチ、なにもかもが違う。
昨夜の混乱、怒り、そして悲しみの様子をご覧いただきたい。

つらい。

この辛さをすこしでも吐き出したいという目的のためだけにこの記事を書いてます。
だから同じこと何回も言うと思うし、まとまりないけど、書かせてくれ。
今回どこがまずかったかは盟友ツノダ骸人形くんがまとめてくれているので、それを引用しながら後ろにだらだら文句と悲しみの慟哭を記していくスタイルで行きます。

 

1 テロップがなんか全体的にダメ

もうその通りで、テロップでなんか色気出してくるっていうか、ふざけてるんですよ。
XXXって「無駄な調査一切なし!」を謳ってるシリーズなんですね。それって要は他の心霊DVDにケンカ売ってんすよ。
「無駄な調査」って何かというと、怖いことなにも怒らないけどスタッフが走り回ったりするアレ。つまり「無駄な調査」のシーンって、スタッフのシーンなんですよ。
普通はここを面白くするためにスタッフのキャラを立てていろいろやったりするわけだけど、そこを切ると言い切った。それって、スタッフのキャラクター性も一緒に切るって決意なわけです。
言葉通り、これまではほとんどスタッフの存在感はなく、わたしたちの目の前に直にその「現象」が置かれているスタイルで、これが怖かった。

……なのに、めっちゃ出てくるやん、スタッフ、テロップという形で。
もーーーーー、ほんとにうざい! まず一発目の字幕がロケバスへ乗り込む投稿者への「腕、どうしたんですか…?」という問いかけ。知らんがな! 要らんがな!
過去作への言及についても「われわれスタッフは~~」みたいな感想が出る。うざーーーーー。お前らの感想なんて求めてないよ!!!
あとこの「…。」っていうのがすっごい多かったの。ほん呪か! これまではほとんどが事実を淡々と伝えるテロップで、スタッフの主観的な意見はあまりなかったのに(○○に見える、とかはちょっと無理があるかな?って時もまれにあったが)。
「~~~のだが…。」ってほん呪のナレーションの文法なんですよ。わたしこれ嫌いなの。だからなんなんだよ! ってなる。それが何回も出てきて悲しかった。

あとはテロップ入れすぎ問題。映像が切れると集中力も切れるんです。AVの冒頭のどうでもいいインタビューみたいなスパンでテロップ入れんな。
集中力が途切れるからどれもダラダラと長く感じるんですよね。
演出、緩急のつけかたという観点がずっぽり抜け落ちてる感じ。

ツノダくんの言う通り、テロップで説明するなど愚の骨頂なのですよ。
怪異とわたしたちの間に何かを介在させるな。あと、舐めるなよ。

 

2 霊能者がでてくるのがダメ

まあこれも今さっき書いた、「怪異とわたしたちの間に何かを介在させるな」って話ですよね。
XXXには「信頼する霊能者」という語られるだけの存在がいたんですよね。名前も顔も知らないし除霊もしないけど、どのくらい危険かだけ判断してくれる人。
そもそも霊能者って、マンガっぽいじゃないですか。存在が。
だから出てくるとリアリティがぐっと下がるんですよ。で、リアリティが下がるとどうなるかっていうと、怖くなくなる。世界線が違うからね。自分と無関係な話になる。
だから極力霊能者を排除したつくりはとても良かったわけです(ただしその怪異の強力さを示すのに客観的な意見を出すためには「有識者」が必要で、そのための「信頼する霊能者」だった)。

だのに。でてきちゃったよ、霊能者。しかも胡散臭い女子大生。マンガじゃん。
これが、「胡散臭い除霊セミナーみたいなのに言ったら霊能者とは無関係に霊現象にあった」みたいな話の、前段としてならいいですよ。
違うもん。普通に怪異に対する対抗策として出てきちゃった。しかも除霊成功しちゃった。じゃあ話終わりじゃん。もう怖くないじゃん。
極論すると、心霊DVDに解決は望んでないですよ。ドラマじゃないんだから。ドラマとして展開するホラー映画(フェイクドキュメンタリーでも)では解決があってもいいけど、心霊DVDには不要。なぜならわたしが欲しているのは恐怖の表現だから。
ドラマ性を一切排除しているからこその質感、恐怖が魅力だったのに。

今回の怪異はそれ自体がわりとしょぼいのでまあいいんだけど、この胡散臭い霊能者によって、過去作「付着物」の怪異までもが解決に「追い込まれた」のが本当につらい。
投稿者と音信不通で不気味に終わったのに……あの余韻をぶち壊し……。

 

3 意味がわかる怪異がダメ

もーーーーこれ!!!!! ほんとにこれ!!!!!!

怪異の!!!! 気持ちを!!!!!! 代弁!!!!! すんな!!!!!!

ふっざけやがって…。そんなの怖いわけないじゃん、普通に考えてもわかるでしょ…。
次と絡むんですが、わたしたち(あえてこの主語で行くが)は、怪異の裏側を探ることに心血を注いでるんですよ。
各話のつながりを探ったり、例えば「十二様」ってなんなんだろう? ということを調べてあたりをつけたり、そういう遊びができる適度が空白がたくさんあったんですよ。
その空白は恐怖であり、探求心をくすぐるものだったんですよ。
ああ………。

 

4 伏線がないのがダメ

まあ上でほぼ言っちゃいましたけど、そういうことです。
そして繰り返しになるけど、伏線がないわりに勝手に「付着物」にしょぼいオチをつけたことは本当に許せない…。
最近は1巻まるごとひとつのテーマでやるパターンが多かったけど、それでもないし。
本当に、ほん呪とか、ほかのシリーズみたい。つらい……。

 

5 霊障映像がないのがほんとにダメ!!!!

つらさが増してきてあんまり話せなくなってきたけど、これだけは言わねば…。

霊障映像のないXXXはXXXじゃねえ!!!!!!

霊障映像というのは、来歴不明の、強い霊障を引き起こす意味不明な映像のことで、「ヒンナ神」や「バラバラ」「歪む部屋」とかがそう。
これも執筆中の本に詳しく書くが、XXXの前身である『死画像』の冒頭にこんなテロップが出る。
「本シリーズの巻末には、見ると死をもたらす可能性がある映像、いわゆる『死画像』が収められている」
これがあの「クニコ」の映像のこと。つまり、死画像から始まるこのシリーズは、毎巻1本、この「死画像」=「霊障映像」が入っていなくてはならないんですよ。
なのに!!!!!!!!
霊障映像がなかった。
霊障映像がないものはもうXXXって呼ばなくていいと思うんです、わたし。
霊障音声? みたいなものは入ってたけど、これさ、霊障起きてないじゃん。ていうか話忘れたわ、つまんなくて。
霊障映像は、それを見ること自体がリスクである、という作りが怖いんですよ。
ただ「霊障があります」と文字が合っても無根拠で、霊障映像が出てくるエピソードっていうのは、その映像による霊障の存在を証明し、補強するものなんですよ。
ヒンナ神だったら友人や母親が不幸な目に遭ったり。
そういうのないじゃん。そんなのだめだよ。
友人が自殺したとは言ってたけど、自殺とカセットの因果関係もわかんないし、そもそも「連絡があったのは実は死んだ後の時間だった!」みたいな話今時ベタすぎて、手垢つきすぎて、よっぽどの策がない限りやるなよって感じ。
そんでその音声も全然怖くないし。
見るだけで不快になって、怖くなって、背筋が寒くなって、そういう映像表現に真剣に取り組んでいるからXXXは他と違う心霊シリーズになれていたのに。
なんでそれを捨ててしまうのか………。
あ、いま、本当にかなしい…泣きたい…。

 

6 パクリだからダメ

ほんと、パクるよりパクられる意気でいてほしかった…。
ちゃんとユニバース広げてきたんですよ、XXXは…。独自の世界観や造形がしっかりあった。質感やトーンがしっかりあった。
なのになんでここにきて、なんのひねりもないパクリをやらかすんだ!!!!
特に一本目は、本当に放送禁止の「恐怖の隣人トラブル」そのものだった。

女が体の前で手を×印に動かす、被害者だと思った人間が×印を使う、「見えているものだけが真実とは限らない」という放送禁止お約束の文言までパクりやがった。
せめて印を変えるか、オチを変えるかしろよ。放送禁止は謎解き要素が面白いけどそれもないんだぞ。本当に悪質なパクリ。
そしてコワすぎのひとつのエピソードを二つのエピソードで使うという所業。

信じられないもう……。
これはオマージュとかではなく、本当に、ただのパクリです。
何にも昇華してないし、うまく生かせてもいないし、面白くない。

 

つらい

はあ………書いても落ち込む一方だったけど、とりあえず吐き出せたので良かった。
あと映像もチープで良くなかったですよ…窓の女とかさ。安っぽーいの。
浮遊少女も、コワすぎはドラマでSFなのであの表現でいいだけであって、ドラマがなく、怖いことが目的であの表現をするのは本当に、ダメだと思います。
XXX1から毎巻1本監督してた向悠一さんという方が外れていたので、体制が変わるのか何なのか…でも彼が監督した作品どれもめっちゃいいので、戻ってきて欲しいです。

失ってわかる大切さというか、今回の件で、これまで10本のXXXシリーズ(死画像含む)がこんなに面白かったのって、やっぱり奇跡なんだな…って思いました。
一応大枠は同じフォーマットで作っても(まあテロップの多さとかはフォーマット崩してきてると思うけど…)、こうまで違う。
なんて繊細な、儚いものだったんだろう…それで10本も作れたのは本当にすごい…。

とはいえ。
このシリーズをここで見切るわけにはいかないのです。
邦ホラー界の希望の星、XXXには、これしきのことで倒れてもらっては困るのです。
持ち直しましょう。立て直しましょう。
もちろん、わたしの想像や希望なんて超えていってほしいし、消費者の思い通りにする必要はないと思いますよ。
でも、今回のは、面白くなかったですよ。
これだったら他の心霊DVDと変わらないですよ。XXXを見る理由がないですよ。
ここまで積み上げてきたものがあるんです。そこに惹かれているファンもきっとたくさんいるんです。
もしそれを捨てるなら、それより面白くならないと。

何が悲しいって、前作まではひしひしと感じていた、恐怖への愛情を、全く感じないことです。
心霊DVDなんてどれも一緒って舐めてるんじゃないの? って思っちゃいますよ。じゃなきゃ、安易なパクリなんてしないんじゃないのかな。
こんなに面白いと思わせてくれて、怖がらせてくれたXXXには、本当に感謝しているんですよ。
愛ゆえにつらいんだ………。

どうか、どうか、11ではこれまでのXXXに戻ってきてくれることを、これまで以上のXXXになってくれることを、心から願ってます。

 

頼む!!!!!!!!!!!

 

#MeTooに共感できず苦しんでいるひとへ、わたしたちは何ができるか

第一部:#MeTooに共感できずに苦しんでいるひとへ

 「ほとんどすべての女性が性的な被害に遭っている」
セクハラや痴漢などの被害に遭ったことがない女性を見つける方が難しい
女性は常に男性の性的な視線にさらされている」
「こういった役割を押し付けられるのが、女性として生きるということ
こんな文章を見かけるたびに苦しくなっているひと、いませんか。
わたしもそうです。
そしてこの文章は、そういったひとだけに向けて書いています。
(そうでない方はもしかすると不快に思われるかもしれません。その場合はページを閉じてください)
 
いま、#MeTooの動きが盛んです。
そのこと自体、社会的に非常に意義のあるムーブメントだと思います。
ただ、それに伴い、冒頭に書いたような文言に出くわす回数が増えました。
それを見るたびにわたしは、居心地の悪い、息の詰まる思いがします。
 

幸いにも性暴力被害経験のないわたし

わたしは痴漢、セクハラ、そのほか性暴力の被害に遭ったことが、ありません。
28年間、日本で女性として生きてきて、満員電車での通学も、会社勤めもしましたが、幸いにもそのような被害に遭うことなく生きてきました。
それは幸いなことのはずです。性暴力の被害には誰も遭いたくありません。もちろんわたしもです。
ですが、どうにも、「性被害に遭ったことのない女なんて存在しない」、さらに言えば「存在してはいけない」という圧力を、感じてしまうことがあります。

 

被害者の理論を妨害する存在として

性暴力の被害に遭うのに、被害者に落ち度があるとするのは誤った考えです。
露出の多い服を着ていたのだろうとか、夜道をひとりで歩くからいけないのだとか。
そんなことはあるわけがありません。誰でも被害に遭う可能性があります。
それを証明するために、声をあげるひとたちは言います。
「女性はみんなこういう目に遭っている」と。
彼女たちは悪くありません。
ただ、自分の存在が、彼女たちの正義を実行するための理論を成立させなくしているようで、生きていて申し訳ないという気持ちになります。
「性被害に遭ったことのない女」がいなければ、性別という所与のもののせいで被害に遭ったのであって、本人の言動が被害を引き起こしたという説は論破できるのに。
わたしみたいな、女だか女じゃないんだかよくわからないものの存在のせいで、わたしが身体的に女性であるばっかりに、「女でも被害に遭わないやつがいるんだから、被害に遭ったやつは自分が悪い」という論の方を補強してしまう。
女なのに、誰からも性暴力を受けていなくて、ごめんなさい。

そんな気持ちになって、自分の存在が嫌になることが、しばしばあります。

 

同じ思いをしているのはわたし/あなたひとりじゃないよ、たぶん。

本当は、誰もそんなことは言っていないのです。だれもわたしのことを責めてはいないのです。ただ、「性被害に遭ったことのない女」がこの世に存在するという視点は、ほとんど失われています。
でも、わたしのように苦しんでいるひとは、他にもいるのではないか。
わたしはそういう人の声を聞きたい。自分だけじゃないと安心したい。
だから自分が「ここにいるよ」と言ったら、誰かが安心できるんじゃたいか。
そう思って筆を執りました。

わたしのようなものの存在が、被害を受けた人たちの障壁になってはいけません。
だからこれは、そういった人たちに何かを求めるものではありません。
これは純粋に、わたしのような、健やかすぎるほど健やかに生きてこられた、それゆえに#MeTooの動きの中で息苦しくなっている、あなただけに向けられたものです。

 

第二部:わたしたちは何ができるか

さて、ではわたしたちはどうしましょうか。
ひとりだと思うとただただ辛くて自分を責めるばかりですが、同じような誰かがいると考えると、前向きに考えようという気がしてきます。
ここからは、わたしたちは何ができるかを、提案するつもりで書きます。
こうしろと押し付けるわけではありません。
ただ、もしこれで、気が楽になったり、自分で他のやりようを考えるきっかけになったら嬉しいです。

1.情報はシャットアウトしていい

わたしはツイッターが好きでしょっちゅう見てますが、そうすると#MeTooのツイートや記事がたくさん流れてきます。
わたしはなぜだか、それを積極的に読んでしまうんですね。
ジェンダー論をやっていて、もともとそういう話題に関心があるからかもしれません。
けれど見るたびに、やはり自分は「女性」じゃないんだと落ち込み、そんな風に落ち込んでいることに自己嫌悪してしまいます。
なので、しばらくは見るのをやめてみようかなと思っています。

#MeTooは、誤解を恐れずいえば、「正しい」ムーブメントです。わたしは、それを避けてしまう自分が、それに共感できない自分が、すごく「正しくなくて」、「社会不適合」な気がしてしまいます。
だけど、たぶん、きっと、そんなことはないんだと思います。
ひとそれぞれバックグラウンドが違うのだから、正しいものでも正しく受け取れないこともあります。
ただ、わたしたちはそれを「正しく受け取れない」と自覚しています。
では距離を置けばいいんじゃないか。
「見ない」ことは活動を妨害することにはなりません。
活動はわたしたちを苦しめるためにあるわけでもありません。
見ないという選択肢を持つようにしようと思います。

2.加害に加担しない

これはわたしたちだけでなく、すべての人が意識すべきことです。
しかし、わたしたちは、生きているだけで加害者側の論拠になってしまうという状況で、だからこそ苦しくて、申し訳ないという気持ちに苛まれています。
(勿論この考え方自体、実際は事実ではないはずです。わたしたちを勝手に論拠にすること自体が加害行為とも言えます。ただし少なくともわたしはこの考え方を内面化してしまっているので、その前提で進めます)
だからこそ、少しだけ意識的に、加害には加担しないという姿勢を取りたいと思っています。
たとえば、飲み会の席で、他人のセクシャルな内容を第三者が笑いにするようなシーンに直面したら、自分は笑わない。
積極的に行動を起こすのは難しくても、何かをしない、というアクションを少しでも取ってみたら、自分は加害に与しないという意思表示になるのではないかと思います。

3.被害者を助ける

上記の内容からもう一歩踏み込んで、いつかは被害者を助けるような動きが出来ればいいなと思っています。
先ほどの例だったら、笑わないという消極的なアクションだけでなく、それに対してきちんと指摘ができるような。
(ただ、こういう時対象にされている人が本当に嫌がっているのかわからないというのも本音としてあります。本人も楽しんでいる、あるいは、セクハラをされるよりも場の空気は悪くなる方が嫌だと思っている、などの可能性を考えるとなかなか動けません。こういう時の対処法、知りたいです)

キャリー・フィッシャーのエピソードで、すごく感銘を受けたものがあります。
友人からある大物プロデューサーのセクハラの相談を受けたキャリー・フィッシャーが、そのプロデューサーに「ティファニーの箱に入った牛の舌」を送り、添えられたメモには「今度彼女やほかの女性に触ったら、次はあなたのモノを箱に入れる」と書いてあった、というエピソード。

www.cosmopolitan-jp.com
ああ、自分はこういう風になるべきなんだな、と思いました。
もちろんこれは極端にせよ、こうやって被害者を全力で守って、加害行為にNOを突きつけるひとになりたいな、と。
そして、わたしみたいなひとはこういう役割をやりやすいのかな、とも。
そういった被害に遭わないということは、わたしは加害をするタイプにとって苦手な人種なのかなと思っています。なので、わたしがこんな風に強く言っても、わたしに対しては加害行為はできず、被害者が直接言うよりも安全で強烈に伝わるのかな、と。

4.自分は被害に遭わないと過信しない

これはわたし自身というか、わたしのように悩んでいる皆さんにお伝えしたいことです。
上に、「わたしは被害に遭わないタイプだから安全」と書きましたが、一方で、いつ被害に遭うかはわからないと思っておく必要があります。
性別年齢問わず、誰しもが被害者になりうるんだと思います。
いや、現実を見ると、実際そんなこともないとも思うことも多々あるのですが、少なくともそれが「正論」です。
可能性としては、あなたも、そしてわたしでさえも、いつかは被害に遭ってしまうかもしれない。
冒頭に書いたように、性暴力の被害者にはなんの落ち度もありません。
とはいえ、過度なリスクは、明確な目的がない場合にはできれば取らない方がいいとも思います。
自分は絶対に被害に遭わないから、と言って、わざとリスクを取るようなことは、しないで済むならしない方がいいと思うのです。
自衛しろ! と言いたいわけではないのですが、捨て鉢な行動は、どうかしないで欲しいです。

以上が、わたしの考えた、わたしたちにできることです。
まずはわたしたち自身の精神的な平穏、これを第一に求めていいと思います。
そして、自分以外を気に掛ける余裕が少しできたら、他の人のためになにかをする、あるいはしない、そういう選択ができたらいいな、とわたしは考えています。

 

最後に

ここまで読んでいただきありがとうございました。
だれかの、なにかの助けになればうれしいです。
最後の最後に、もし、#MeTooで発言をしている当事者の方で、これを最後まで読んでくれた人がいるなら、あなたにならできるお願いをさせてください。
ぜひ、今後も声をあげてください。#MeTooでの発言が広がることを、わたしは応援しています。
ただ、その時に、もしよければ、「女性だから~」というような言い方を、避けてもらえるととてもうれしいです。
わたしたちもそうですし、性暴力の被害者には男性の方もいると思います。
もしかしたらそういった人たちも、「女性だから被害に遭う」というような文章を見たら、声をあげづらく感じるかもしれません。
悪いのは加害行為です。加害行為が存在することが被害の原因に他ならないと思います。
だから、被害者を何かでくくるのは、また別の苦しみを生みかねません。
もし可能なら、このことを頭の片隅にでも置いておいてくれると幸いです。

 

なぜ女性向け風俗はない(少ない/メジャーでない)のか?

前段

先日(と言いながら数カ月経ってしまったが)、仕事中にツイッターをしていたら、面白いツイートが。

角田氏は学生時代の友人なのですが、こういう面白いことをぽっと言ったりする。
ここぞとばかりにリプを飛ばし、仕事中に小一時間ほど談義しました。
今回はそのまとめらしきものと、わたしの考えを少し。
女性向け風俗、あってもいいよね、でもその前に立ちはだかる大きな障害など。

なんでないんだろ?角田氏とナツメの見解の違い

引用だと見づらいので、本人の許可を得て、会話形式でその時のやりとりを公開。
こんな話を会社のデスクでしてました。

角田氏 女の人向けの風俗ってないの?
    なんで?
    という疑問は毎回思う。

ナツメ ないのかね?
    ないとしたらまあ、男性客・女性従業員より
    女性客・男性従業員の方が、

    客が犯罪の被害に遭いやすいからかな?
    男性向け風俗(女性従業員)は、
    一般的に言って力とかが弱い女性の側に
    会社(バックアップ)がつくからいいけど…っていう。

角田氏 あんま見たことないけどねー。
    頼みづらい点で無いのかと思っていたけど。
    あと、男の方が「特定の人とセックスしたい!」
    みたいな思いが薄いから
成立してんのかな。
    関係ないか。

    謎だし、不公平。

ナツメ わっからん。

    わたしがもし利用するとしたら、
    さっき言ったような怖さがネックかなと思った。
    でもおさわり系のホストクラブ?
    みたいなのはあるらしい…?

    所謂本当の一対一の風俗だとリスク感じるけど、
    オープンな空間での
    エロティックサービスならいいかも。

角田氏 そういう危機意識は男向けの風俗では
    感じたことなかったけど、あるもんなんだね。
    なるほどな。

    でも、女だって性欲あるわけだし、
    なんか中途半端なもんしか無いのはなんだかな。

    広まらない理由含め、
    イマイチ釈然としない思いがあるのよね。


ナツメ 釈然としないのが面白いな笑
    わたしは当事者的に、
    そこの危機意識は何にも勝ると思う
し、
    てかそこクリアしないと、
    そもそも気持ちよくならないと思う。
    そのリスクあるならオナニーでいいよって。

    だって、男側は嬢相手に発射して終わりだけど、
    こっちは妊娠すんだよ

角田氏 そうか、そのリスクか。そりゃ当然だ。
    なんでこんな当たり前のこと忘れていたんだ。
    反省。

    でも、子供産む大変さを負っている種族が、
    アホみたいな男より性サービスに
    恵まれていないのが、不公平に思える。
    女の人がいいならいいんだけど。

ナツメ 妊娠と性病怖い。
    あと別の線で行くと、女の人は
    しようと思えばタダでできるんだよね

    買ってくれる男の人がいるでしょう。
    だから女が金払って
    性サービスを買うっていうのが

    男女の文化的役割と
    噛み合わない
んじゃないかな。

    でもわたしまだ処女だったら金払ってたかもw

角田氏 うーん、買ってもらうのはこう、
    私が願う性サービスの理想とちがう。
    ちゃんとした風俗行くと、
    嬢の人本当丁寧で、おもしろいからさー。

    衣食住の一つとしてのエンタメを、
    こう、何いってんだおれは。

ナツメ 同じことでお金貰ってる女がいるのに、
    自分は払うってなんか惨めじゃん。
    女としての価値がないって感じで。
    っていう感覚はある。

    女が性をエンタメとして消費するには、
    リスクを極限まで下げないと
    いけないから難しいよね。

    だからAVかレズ風俗が限界と思うぞ。

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ナツメ ちなみにこんな感じらしい。
   (https://pan-pan.co/detail/35271
    でもググったら案の定
    「挿入NGなのに挿入されそうになった」
    とかあるから、
    やっぱり「客が被害に遭うから」は
    でかい気がするなぁ。
    嬢が無理矢理挿入しても
    被害にならないのか?
問題か?

角田氏 まだまだ店側のプロ意識が低いのか。
    未成熟な業界なんだろうね。

    嬢が無理やり挿入は、
    まず男が拒まない感ある。

    アホだな。
 

まとめると…

それぞれが思う女性向け風俗が少ない/メジャーでない理由は

(ナツメ)
・リスク(妊娠/性病)をクリアできないから?
・利用者が従業員側から暴力などを受ける可能性が高くなるから?
・女性はお金を払わなくても性行為にありつけるから?

(角田氏)
・頼みづらいから?
・女性のほうが「特定の相手との行為」にこだわるから?

「セックスとリスク」の認識の違い

まず前提として、角田氏の意見が「男の総意」だとも、わたしの意見が「女の総意」だとも思っていません。
そう扱うつもりもありません。
個人的な感想を言えば、角田氏はかなり女性に寄り添って考えている印象です。
でも、それでもわたしが「女性として」考えた意見と、こんなに違いがあるんだ! と驚いたのは、
「セックスにはリスクが伴う」という認識の度合いの違いです。

わたしが、未知の相手と実際にセックスをすることについて考える時、
まず頭をよぎるのは妊娠のリスク、ついでHIV性感染症のリスクです。
そこの問題がクリアになってはじめて、イチモツは大きい方がいいかとか、どういうプレイがいいかとかいう具体的な話が出てくる。
そこをクリアしないセックスの実施については、すべて却下です。
だって、そのリスクに思いを馳せた時って、めっちゃ怖いんですよ。
泣きたくなるくらい。
中絶することになって膣から細いはさみを入れられて中で胎児を刻むところとか考えるんですよ
HIVにかかって、その後本当に好きな人が出来てもセックスできず、毎日同じ時間に薬を飲んで、でも衰弱していくところを想像するんですよ。

まぢむり。。。

JK(JKなのか?)になるほど無理です。書いてて具合悪くなってきました。

いやね、昔は思ってましたよ。このままずっと処女だったら、お金払ってセックスしてもらうしかないんだ…って。
でもお金払ってセックスしてもらって、挙句性病にかかったり、中絶する羽目になったらもう、惨めの上塗りじゃないですか。しかも誰にも同情してもらえなそう。
だれも悲しんでくれない滑稽な悲劇の出来上がりです。
と、お得意のネガティブ妄想をとことん広げましたが、まあ、程度の差こそあれ、こういう感覚を持っている女性は少なくないんじゃないかと。
このリスクの部分をクリアして、完全に安心できますよ、という売り方が現状難しいから、女性向け風俗はない(あまり聞かない)んじゃないかなと。

でも角田氏は、わたしが「妊娠」と言うまでそのリスクを特に考えていなかったわけで。それが悪いとかではなく、わたしからしたら新鮮でした。
その後氏の発言で「エンタメとして」というものが出てきて、これもかなり面白かったのですが、たしかに、男性向け性サービスのバリエーションを見るに、まぎれもなくそれは「娯楽」なんでしょう。
そこにある「セックス」は、わたしが思うような現実の生活と地続きで切実なものでなく、一種の非日常だったり、選び取って、楽しめるものなんだろうなあ。
それ自体は、結構、羨ましいと思います。わたしもそんな風に性を遊びたい。

あと、不思議なのは、妊娠のリスクについては、もちろん女性のほうが高いし、自分ごとなのはわかるとして、性病については男女ともにリスクは等しいと思うんです。
正直、男性向けの風俗の具体的なサービスを知らないのでわかりませんが、感染の機会は完全に排除されてるんですかね?
まあ基本的にコンドームは装着するんでしょうけど…ゴムなしは男が強要することはあっても女はしないから大丈夫ってこと? そうだとしたらあまりにひどくない? など…。

セックスとプライド

この点はかなりわたしの独自性が強い気もするのですが、女性が性サービスを買うのって、男性がそれをするよりも、プライドの問題に関わってくる気がします。

女が金払って性サービスを買うっていうのが
男女の文化的役割と噛み合わないんじゃないかな 

同じことでお金貰ってる女がいるのに、自分は払うってなんか惨めじゃん。
女としての価値がないって感じで。っていう感覚はある。 

このあたりですね。

鶏と卵的になってしまいますが、やはり、性サービスは「男性が買う、女性が売る」ものだという固定観念があって、金銭が発生する限りそれは「価値」だとわたしは考えています。
女性の性には金銭的価値がある。
そしてこれは非常に問題がある認識であり、性産業従事者への偏見を助長する考えでもあると思うのですが、女性の「価値」のうち、「性」の価値は高値でありつつも誰でも=容姿や学歴などほかの「価値」が低い女性でも「売れる」もの、という認識が根強くある気がします
わたしが言った「女の人はしようと思えばタダでできる」というのもここから来ています。
最終的な目的は同じ「性行為」なのに、普通であればそれでお金をもらえるのに、もらうどころか自分が支払うって、すごく惨めじゃん。と、わたしは昔から考えることがありました。
どんな女でも性は売れるのに、わたしの性は売れないどころか、金をもらわないとやりたくもないんだ、って思いたくない。

この考え方は論理的に間違っていて、「売る自分の性」と「買う相手の性」はイコールではないんですね、本当は。
売るときは相手を選べないし、自分の望むプレイもできない。買うときは自分好みにカスタマイズすることができて、そのカスタマイズ性も含めてお金を払うんです。
「性を買う女」は「性を買ってもらえない女」とは限らない。
それは理性的に考えればわかるんですが、感覚的には、やっぱりプライドが許さない。

性に積極的なことも、「一般的な女性」としてはマイナス評価になりかねないということも理由にあるかもしれません。
彼氏とのセックスに対してちょっと積極的なくらいは可愛いかもしれないけど、性サービスを金で買うほど「飢えた」女は嫌だ、という「想像される男性の視線」が怖い、という感覚ですね。
これはいわゆる男性的な処女信仰(実在しているかは不明)を女性が内面化した場合です。


いずれにせよ、「性サービスを買う“ような”女」と思われることによる不利益を恐れている、というのは少なからずあるかと思います
(角田氏が言った「頼みづらい」というのも、このことかなと思います)

 

愛とセックスとわいせつ

ここまではわたしの言った意見について掘り下げましたが(暴力などのリスクは言わずもがななので省きますが)、角田氏の意見が的外れかというと、全然そんなことはないと思います。

男の方が「特定の人とセックスしたい!」みたいな思いが薄いから成立してんのかな。 

これ。
これ、面白いですね。どうなんでしょう。
わたしの場合は、特定のパートナーがいる時は、パートナー以外とはセックスしたくないです。
そして、プラトニックなパートナー以外とのセックスの経験がないので、「そうではない」セックスがどういうものなのか、いまひとつ想像がつかない。
つまり、わたしの中では「愛」と「セックス」は、今のところ不可分である、ということです。
愛なきセックスというものが自分の中に存在しない。

あとですね、これを書きかけの間に、こんな記事を読んだんです。

www.nikkeibp.co.jp

これ、めっちゃ面白かったのでぜひ全部読んでほしいんですけど(全4回)、この中にも今言ったことに関連しそうな言及がありました。

(筆者注:TENGA社長松本氏が、勤めていた会社を辞め、ものづくりの仕事をするために様々なプロダクトを見て回ってる中で、アダルトグッズ売り場で違和感を覚えたという話)

 

松本:(略)違和感の最大の原因は、棚に並んでいる商品が発している暗黙のメッセージであることに気が付きました。そのメッセージというのは、「マスターベーションは卑猥な行為なので、よりわいせつな気持ちで使ってください」というものです。

 

森辺:マスターベーションが卑猥な行為であるとされていて、だからそのときに使用するアダルトグッズも「卑猥なもの」であるのがふさわしい、というメッセージですね。

 

松本:はい。僕の周りの男性は、10人いたら10人が普通にマスターベーションをしています。にもかかわらず、その店の棚ではその行為を「特殊で、卑猥なことだ」と言っているわけです。
人の根本的な欲求なのに、特殊で卑猥なものとして表現されている。これは明らかに間違っている、と思ったんです。

この「卑猥さ」「わいせつさ」って、パートナーとのセックスにはないものじゃないですか?
個人的にセックス=性行為そのものを「卑猥」だとか「わいせつ」と思ったことはないです。
松本社長の言うように、オナニーも、そしてセックスも、「人の根本的な欲求」、なんならヘルシーなものだと思います。
「卑猥さ」や「わいせつさ」って、「愛」が欠如した場合に性的興奮を掻き立てるための「代替品」でしかないんじゃないかな、と思ったりしました。
この話はこれはこれで面白いので、また別の機会に深堀りできたらいいなと思います。

話を戻すと、「愛」が原動力となるヘルシーなセックスと、「卑猥さ」によって代替された性的興奮に基づくセックスは、そもそも毛色がかなり異なるのではないか、というのがわたしの意見です。
代替品だから悪いなんて事はなく、別物なんだから別に楽しめばいい、とも思いますし、前述したハードルがなくなれば、女性にとっても身近になるような気がします。
ポテチとかマックみたいな感じで、ヘルシーではないけどたまに食べたくなるもの、というようなイメージ。

こういう感じであってるかな、角田君?笑

 

エンタメとしての性/風俗

ここまでは若干ネガ寄りというか、問題点を色々と列挙してきました。
タイトルの「なぜ女性向け風俗はない(少ない/メジャーでない)のか?」については、上記の内容が現状の答え(の一部)になるのかなと思います。

じゃあ、最後に未来の話を。

(女性の目線で、男性に「買ってもらう」のは)
私が願う性サービスの理想とちがう。
ちゃんとした風俗行くと、嬢の人本当丁寧で、おもしろいからさー。
衣食住の一つとしてのエンタメを、こう、


角田氏の言う「エンタメとしての性風俗サービス」、これを女性が享受するにはどうすればいいのか?

そもそも、そういったものを女性が望んでいるの? というと、わたしに関しては「YES」です。
まあ、前述したように、特定のパートナーがいるときは個人的には必要ないと思うのですが、そうでない時に利用できるサービスがあると、うれしい。
たまには食べ放題に行って腹いっぱい食べたいように、
たまには時間を気にせず、昼過ぎまで寝ていたいように、
たまには疲れて飽きるまで性的快感を得たいと思うのはかなり普遍的な欲求だと思うのです。

その際に問題となるのは、何度も言うようにリスクの回避です。
妊娠、性感染症、さらにクローズドな空間での暴力の危険性。
そういったものが無い、ということが大前提になります。
いち女性(女性身体をもつもの)としての個人的な感覚ですが、そこがクリアにならない限り、わたしは絶対に利用しないな、とも思います。
男性が性風俗サービスを受ける際に想定するデメリットと、女性のそれは、相当な差があるんじゃないでしょうかね。

でも、実は最後の問題がクリアされれば、前の二つは自動的に解決される気がするんです。
曰く、コンドームの着用を徹底すればよい。
というか、そういったサービスで、コンドームを着用しないこと自体、暴力なわけです。
だけど、そこの徹底ってかなり不可能に近いんですよね。
だってそれができたらもうしてるでしょ
聞く耳を持たない暴力男が数パーセントいて、そいつに当たる可能性が0じゃないから、女性にとってのリスクはいつまでたっても減らない。
さてじゃあどうするか。。。。

実は、以前これの答えになるようなものを見たことがあるのです。
それは男性向け同人誌でした。
同人誌なので名前は伏せますが(気になる人はTwitterで聞いてください)、かなりぶっ飛んだ内容でした。
セックスのテーマパークがもしあったら…というようなもので、そこを訪れたいろんな女性が奔放に性をむさぼっており、その姿が抜ける!という趣旨のものでは合ったのですが、その架空のテーマパークのシステムが、意外と合理的なんじゃないか?と思ったのです。

男性は入場時にコンドームの着用が義務付けられており(かわいいキャストのお姉さんがつけてくれる)、男女ともに、「どこまでOKなのか」を示すステッカーを身につけている。
それを見て来場者同士で相手を探して、好きに行為に及ぶ、というわけです。
(ちなみにキャストとするには別料金がかかる設定でした笑)
さまざまなプレイができるアトラクションやエリアがあって、たとえば動物になりきってプレイするエリア、とか、個々人の性癖に合わせて楽しめるわけですね。

まじめに書くとすごい間抜けなんですが、これ、かなり理想的な、いわばユートピアじゃないかと思うんですよね。
まあ、入場時につけるコンドームとかは、リアルに考えるとつけっぱなしで外れないの? とか複数回に耐えるの? とか科学の進歩が待たれる部分もあるんですが笑、
システム化された、他者の監視下で、互いの意向を尊重して、対等な立場(行為する二者ないし複数者間で金銭の生じる関係はない)で、というのが、暴力の防止にすごく役立つと思うのです
密室で、二者間で、金銭がからんでいると、暴力は起きやすくなると思います。
それをオープンな空間にうつす。そうすると他者の目がある。それだけで抑止力になります。来場者同士でなく、テーマパークですから、パークの従業員もいるので、万が一そこで不穏な動きをする人がいれば、なんらかの対処をしてくれるでしょう。

多分これに近いのはいわゆるハプバーなのかな?と思うのですが(行ったことないので違うかもしれない)、暗いし、バーだと目が行きとどかないでしょうから、抑止力はまだ小さいのかな、と思います。

件の同人誌は、テーマパークなので、どうも屋外(の完全に囲われた空間)として描かれているんですよね。というか、デ○ズニーランド的なイメージですね。
オープンで見通せる空間、適当な間隔で配置された従業員(そして彼らはパークの雰囲気を壊さないような衣装・ふるまいである)、意思を表示するステッカー、好みで選べるアトラクション…安心安全に性を遊べるまさに夢の国!

あとは科学の進歩が魔法のコンドームを生み出し、その状況下で興奮できるように我々が進化できれば、実現待ったなしですね!
楽しみにしてるので誰か作ってください!

わたしは女である、というごく私的で内省的な宣言

お久しぶりです。
人生の転機は、本当になんでもない時に訪れるもので。
わたしは、今日、生まれて初めて、「わたしは女である」と、言える、そんな心持になりました。
これまでの記事を読んでもらっている方は、これがちょっとすごいことだと、わかって頂けるかもしれません。
とつぜんに訪れたこの転機について、少し書いておきたいと思います。

決壊のきっかけは、とあるマンガだった

今日もいつものようにTLを眺めていて、何気なくリンクを開いたら、マンガが出てきました。
そんなに長くないので、是非最後まで読んでください。

note.mu

わたしは休憩中、会社の休憩室のソファで軽く横になって仮眠を取るのですが、その体勢でこれを読んでいて、涙が出てきてしまい、あわてて寝たふりをして誤魔化しました。

これが、つまり、「女であること」でした。

「女らしさ」を「愚かさ」と教えこまれた20年間

わたしは、一人っ子でとても優秀な「いい子」でした。
反抗期もなく、つねに成績優秀で、しかしガリ勉ではなく、趣味が多く、両親と非常に仲が良かった。
両親はわたしに対し、「女の子だから~」と言ったような物言いをすることもなく、特に母親は比較的リベラルな方だと…ずっと思っていました。
ですが、少し過剰な面もありました。
彼女は、女性性をひどく毛嫌いしていた。
それにはある事情があるのですが、いずれにせよ、彼女にとっては、女性性、女らしさ、女性の性的アピールのようなものはことごとく悪で、醜く、愚かなものに思えているようでした。
その価値観を、わたしは約20年間にわたり教えこまれ、完璧に内面化していました。

しかし、母はわたしに、何かを強制したり、強要したり、直接的に求めたりするような言い方は、決してしませんでした。
あくまで、価値観としてそれを植えつけるのです。
少し露出の多い服装の女の子を見かけると、
「自分の娘がもしああだったら絶対に嫌だ」
と言い、
母の知人が、若い頃にモテて、男性にご飯をおごってもらっていたというような話を、嫌悪感をにじませながら、非常に馬鹿にした言い方で聞かせ、
年頃のわたしが、全然モテないと悩みを打ち明けると、
「ナツメは美人だから高嶺の花なんだ。モテるような女はブスばっかりだ」
と言う。
この頃にはわたしもこの価値観を完璧に内面化していたので、母と一緒になって、モテる女性や、若い女性らしいファッションを楽しむ女の子を、馬鹿にしていました。
わたしは中学生、高校生になっても、スカートの下にはつねに短い黒のスパッツを履いていたし、胸元が見えないように、つねにキャミソールを着て、時にはそれをテープで肌に貼り付けていました。
それが母の教えであり、「愚かでだらしのない(=母に嫌われるような)女の子にならないために必要なこと」でした。

母は、「恋愛もの」も嫌いで、馬鹿にしていたフシがあります。
惚れた腫れた、盗った盗られたの色恋沙汰で悩むのは馬鹿らしい、だから恋愛ものの少女漫画はつまらないと言っていました。
この価値観も、わたしはまんま踏襲してしまい、いまだに恋愛ものの少女漫画の楽しみ方がよくわかりません。

もちろん、これが母の全てではありません。ごくごく、本当にごく一部の言動をピックアップしています。
有意義なことも教えてもらったし、楽しい思い出もたくさんあります。時間で言えば、それらの方がずっと多い。
でも、この「女」に関する、彼女の態度への違和感は、喉に刺さった魚の小骨のように、ずっとひっかかって、取れていません。
だからこうやって、今でも鮮明に思い出す。
これが、わたしの、「呪い」でした。

「ズルいよ!」と叫んだのは「女の子のわたし」だった

さきほどのakkoさんのマンガを読んでいて、心の中の抑え込まれたもう一人が「ずるいよ!」と叫んで飛び出してくるシーン、
その「ずるいよ!」という文字を見た時に、わたしはものすごい、ショックを受けました。
「ズルいよ!」
それは、わたしの心の一番奥でずっと叫んで、押し殺している言葉そのものだったから。
本当に、あのシーンそのままなんだけれど、わたしの気持ちを、これまでのブログの内容とかも絡めながら文章にすると、こんな感じ。

「ズルいよ! 女の子は媚びたり、露出したり、それで男の人にチヤホヤされたり、性的に見られたらいけないんだよ!
 それは、醜くて、愚かで、恥ずかしい事なの!
 そんな風になったらお母さんに嫌われちゃうの! 愛されなくなるの!
 だからやっちゃだめなの! 人から女扱いされちゃだめなの! なのになんで!?
 なんで女性らしさをアピールしても許されるの!?
 なんで女扱いされてるのに堂々としてるの!?
 女として見られないようにしなきゃいけないのに、何で痴漢とか、盗撮とか、男の人に性的に見られてしまったことを、堂々と言うの!?
 なんでそんなこと言って、女として見られて、それで許されるの!?
 ズルいよ! わたしだって、本当は可愛いって言われたい、女の子として見られたい
 男の子にチヤホヤされてみたかったし、それで愛されたかった!
 でもそうしたらお母さんに嫌われる! 存在を否定されるんだよ!!
 だからわたしは全部ガマンした! なんでみんなガマンしないの!? 
 そんなのおかしい!! 女として堂々としてる人はみんな嫌われなきゃだめ!!!」

ここで初めて、わたしは、「ふつうの女の子であること」を我慢してたことに気付きました。
わたしが女の要素をもっていないんじゃなくて、「わたしは女の要素を持っていてはならない」と、自分自身で思っていたんだな、と。
「わたしが他人から女扱いされない」んじゃなく、「わたしが他人に女扱いさせない」だけだったんだな、と。

だから、わたしは、わたしにこう言ってあげようと思います。

お母さんに嫌われても、あなたの人生はあなたのものだから、いいんだよ。
 みんなと同じように、あなたも女の子でいて、いいんだよ。
 かわいくして、女の子らしくして、男の子にチヤホヤされてもいいんだよ。
 嫌なことがあったときに、自分は女に見られないはずだから、人間として非常に程度が低く見えて、馬鹿にされたんだとか、思わなくてもいいんだよ。
 あなたは、少なくとも、他人から見て、男には見えないよ。
 女の姿かたちをしているよ。
 そして、女のかたちをしたものに、嫌なことをするひともいるよ。
 よくもわるくも、あなたは女だよ。
 だから、これからは、あなたがなりたかった女、女の子として、生きていいんだよ

どこで失敗したのか

おそらく、この事態を招いた大きな原因のひとつが、反抗期がなかったことだと思います。
わたしは、母の言うことに、疑念を差し挟まなかった。
いや、厳密に言えば、違和感はありました。
学部生の頃、学内のカウンセリングルームに通っていて、そこで母の話もしていた記憶があります。
母に極端なところがあり、わたしはそれに違和感がある。だけれども、違和感を持つこと自体に大きな罪悪感がある。
カウンセラーから、そのことについて有益な助言を貰った覚えはありません。
わたしは罪悪感に負け、その違和感を打ち消し続けてしまいました。

ひとり暮らしを始めて、わたしの心、情緒はだいぶ落ち着いてきたと思います。
このタイミングだったから、akkoさんのマンガを読んで、「これはわたしだ!」と気付けた。
同居していたころだったら、きっと気付けなかったでしょう。
それほど、わたしは母と自分を混同していたのかもしれません。
母に嫌われたら世界が終わる、と言うような感覚だった気がします。

なぜ反抗期が来なかったのか、なぜ同一視から抜け出せなかったのか。
これは一種洗脳のようなものだったとも思いますが、それにしても、わたしにも問題があったのかなあと思います。

悔やんでももう仕方ないですが、わたしは27年間を無駄にしました。
どうやったらこんなことにならずに済んだのか、それはこれからもし分かれば、共有して、同じような境遇の子にとって何かのヒントになれば良いなと思います。

生まれて初めて、「わたしは女である」と言う

休憩時間に何気なく見たマンガで、わたしは、ある意味で生まれ変わりました。
20年来の呪いが解けて、「性別のわからない、気持ち悪い生き物」から「女」へ。
もちろん、いままでの価値観が全くなくなるわけではありません。
やはり、女であるまえに人間だと思っているので、わたしの人格は性別と切り離された部分が多いと思います。
でも、わたしは社会的に、女性である。
そう断言できるのは、生まれて初めてのことです。

考えてみれば、やはり外見上はどう見ても女ですし、男と間違われたこともないので、他人はきっとわたしを「女」として判別しているはずです。
「女であってはならない」という前提にたった言動が違和感を与えていた可能性はありますが、それでも区分としては、これまでも「女」に振り分けられていたはず。
今日からは、自分でも、そう思って生きてみます。
わたしは女なんだ。
そう思うことがこんなに嬉しいとは思いませんでした。

きっと何も変わらないけど、少しだけ楽に生きていくことが出来そうです。

持ち味の面倒臭さは少し減ってしまうかもしれませんが、これからもよろしくどうぞ。

シリーズ拡大解釈2・マンガのブス表現が辛すぎる件と、みなさんへ質問

電子コミック、読む?

まさかの2回目ありました。シリーズ拡大解釈です。

このブログも当然そうですが、ネットを閲覧してると、広告が出てきますよね。
スマホで見ると、電子コミックの広告がよく出てきます。
わたしは、これ、結構読んじゃうほうです。
課金はしたことないですが、最近は1巻まるごと無料で読めたりしますよね。
最近の広告は、検索や閲覧などの履歴から、そのひとに合った広告を出して来たりするので、わたしのところには、自分が読んだのと似たようなジャンルの広告が多く出てきます。

ひとつは、社会派のやつ。こういうのですね。

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んで、もうひとつは、これ内容というより、広告の切り口としてこういう切り取り方があるんじゃないかなと思っているんですが、「ブス」訴求のもの。
こういうやつです。

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Twitterをご覧頂いている方はもうご存知かもしれませんが、わたしは重度の外見コンプレックスを抱えておりまして(これまでの記事でも少し触れたかとは思いますが)、
なので、こういう広告を出されると、見ざるを得ない。
そして、「ブス」の側に最大限感情移入して、辛くなるわけです。

 

ナツメさんはいかに感情移入するか

もちろん上の2作品も読みました。無料の範囲ですが。
特に、上の『親なるもの 断崖』は辛かった…。

  • 『親なるもの 断崖』

まんが王国 『親なるもの 断崖』 曽根富美子の電子書籍・漫画(コミック)を無料で試し読み[巻]

広告に出てくる、「地獄の郭」のシーンは無料の範囲には出てこないし、そもそもこの「醜女」とされている子は、本編ではあまり重要な役どころじゃない。でも、それゆえにさらに悲しいじゃないですか。

これは、昭和初期に青森から北海道の遊郭に売られてきた4人の少女の話なんですが、この4人の構成というのが、別嬪、別嬪、別嬪、ブスなんですよ。
もはやこの時点でブスの子にしか感情移入できない。

しかも、冒頭10ページ目くらいの回想シーンが、いきなりひどい。
別嬪のうちのひとりが、自分は最初から「売り物」として育てられたと怒りをにじませながら嘆くんですが、それを聞いてブスの子は自分が売られた時のことを思い出す。
裸に剥かれて値踏みをされて、その値を聞いた父親が娘にこう言う。

「この親不孝者めが! おめえはたった九十円にしかならねえ体だと!
 顔もまずい 体もずんぐり こったら女に育ちやがって この親不孝者!」

それに対し、娘は「父ちゃん 母ちゃん すまねっす」と謝るんですよ。


よし、死のう!!!


鬱すぎて明るくなっちゃったよ。

顔もまずくて体もずんぐり、90円にしかならない体なんて、若い盛りに男の人に触れたいとすら思われなかったわたしが、他人ごとと思えるわけがない。
むしろわたしは(現代の)90円ですら売れないかも…女の部分で金銭価値が発生するとは思えない。皿洗いとしての方がまだ価値がある。
脱線しましたが、もう、我がことのように辛いわけです。

別嬪の3人も、美しいがゆえに女としての困難や苦痛が次から次へと降りかかるんですが、いかんせんこちらは醜いので、同じ土俵にも上がれていない。
はあ、大変だなあ、辛いんだろうなあとは思う。悲しいなあとも思う。でもね、感情移入できない、というか、「してはいけない」という感覚になるんですよ。
醜いわたしが、人並みやそれ以上に、「男に求められ/搾取される(“彼女達”の言葉で言えばだが)」ことに対して、共感してあまつさえ同情するなんて、なんて図々しいんだ、鏡を見てみろ! と、頭のなかで誰かが言うんですね。

一方でブスの子の方は、さらに共感せざるを得ないことになる。それが広告の、「女郎になりてえ!」という部分。

女郎になあ…なりてえよなあ…。

売春、という呼び方は不適切と言われるかもしれませんが、それが、いかに辛いか、大変か、やらずに済むならならない方がいいか、そういうことがたくさん言われているのは知っているし、実際に辛い思いをしてる人もたっくさんいるんだろうと思う。
でもね、醜くて、女として見られない人間にとっては、なによりも憧れる仕事なんですよ、それは。
わたしはAV女優とか風俗嬢とか、めちゃくちゃ尊敬していると言うか、人間としても価値がわたしの何億倍もあって、ヒエラルキーにしたらばわたしは最下層の中の最下部で、彼女たちは雲の上の存在だと思ってる。
「女である」という職業、肩書き、それがあれば女として見られて、相場よりとんでもなく低かったとしても、金銭的価値が発生するならば、そこで生まれて初めて、「女で生まれた意味/価値」が自分にあると思えるじゃないですか。
だから、女が、特に醜い女が自ら「女郎になりたい」と言うこのシーンは、すごく意味があると思う。

なんだけど、この子の話はメインにはならなくて、だから、余計悲しいですよね。
わたしにはこの子のストーリーしか共感できないけど、作者、ないし想定される読者はそうじゃないんだな、美しい女たちの苦痛がわかる、それに対して自分が何かを思うことすら許されないなんて思わないんだなと。

 

  • 『オーダーメイド』


2個目の「オーダーメイド」は1話が前後編になってるもので、広告に載っているのは第1話の後編のストーリーです。

まんが王国 『オーダーメイド』 高橋一仁の電子書籍・漫画(コミック)を無料で試し読み[巻]


軽くネタバレになりますが、この作品は、1本500万の「オーダーメイド」AVを、注文した人の話と、その裏側で、なんらかの理由があり別人に整形しオーダーメイドAVに出演する女の話が一組になっています。
広告の話は「裏」側で、バナーにある通り、醜い容姿で、友達も恋人もいない女が、難病になり余命わずかと宣告されます。そこに、整形してAVに出たい人募集というメールが来て…という、まあ、導入はかなりご都合主義ではあるのですが、彼女の動機もまた、どうせ死ぬならセックスがしたい、というもの。

わっかる…。


ネタバレが続きますが、整形して美しくなり、撮影で初めてのセックスを体験した彼女は、治療費が欲しいからではなく、「もっとセックスがしたいから」、この仕事をずっと続けるという決意をします。
毎回骨格レベルで整形をするので、続けるとどうなるかわからない、と言われても、それでもいい、と。

(正直、1回目の手術で綺麗になったんだから、それこそ普通のAVに出るとか風俗やるとか、あるいは普通に彼氏作ることだってできると思うのですが、それは野暮なので突っ込まないようにします)

そうやってつぎはぎだらけの身体になってもセックスを求める彼女を見て、オーダーメイドAV制作会社のメンバーの女性(ヘアメイク担当)がいう台詞があるんですね。

「ブスに生まれるってカワイソー」

ああ、かわいそうなんだ、わたしって、やっぱり。
と、思ってしまいました。
別にこのキャラや作者に対して怒ってるわけではなく、ああ、やっぱりなと。
わたしは整形するほうのキャラに完全に同化してしまっているので、彼女への評価=自分への評価(もそんなもんだろう)と。

ただ、一方で、みんなは「ブス」の方に共感しないのか? とも思います。
それは、「ブス」キャラの描き方が、わたしの移入度に比較してあまりに軽く、他のキャラの方が厚く描かれていると感じることや、さっきの「カワイソー」のような、共感して読んでたら結構刺さる言葉が、やはりかなり軽いタッチで使われてることなどから、そう思うわけですね。

上記2つは比較的シリアスに「ブス」を描いていましたが、笑いの対象として描かれる「ブス」を見ると、もっとわかりやすいかもしれません。

 

笑っていいブス?

たとえばこれ。

とあるフリーターの日常09

このページの最後に「ブス」の女の子が出てきます。
ちなみにですが「可愛い女の子」の登場シーンはこれ。

とあるフリーターの日常14

これ、この「ブス」の子のくだり、笑えるんですかね…?
わたしは笑えないんですよね、ああ、こう思われてるのか、やっぱり…と、ここでも。
やっぱり、怒ったりってことはないんですが、しょんぼりはします。
この、点数つけるやつ恐いですよねえ。わたしマイナス5億点くらいだと思われてるよきっと…。

というか、やはりマンガの世界観て、女性向けにしても男性向けにしても、女の子って「可愛い」か「ブス」かしかいないですよね。
女性向けはほぼ全女性登場人物が「可愛い」ですね。男性向けには、こうやって「可愛い」子と「ドブス」が出てくることが多い。
これは、マンガだからなのか、現実もそういう切り取り方で見る人が多いのか…どっちなんですかね。

 

皆さんに質問

このブログ初の、読者のみなさんへの質問で終わりたいと思うのですが、
マンガで「ブス」の子が出てきたとき、どんな風に感じるものなんでしょうか。
わたしみたいに感情移入するのか、笑うのか、あまり気にしないのか。
わたしの文章も相当偏ってると思うので、それに対しての感想でも構いません。
このブログ、そもそもとてもコメントしづらいと思いますが、是非お気軽に。
Twitterでもお待ちしております。

ちょっと脇道、ほんとのはなし 非モテと普通の境界上

実際のナツメさんてどうなのよ

という興味を持っていただいているかどうかはわかりませんが、
わたしはこの記事

frogfrogfrosch.hatenablog.com

や、この記事

frogfrogfrosch.hatenablog.com

で、散々、自分がいかにモテず、惨めな半生を送ってきたかということを切々と綴ってきました。
これは、嘘ではないのです。わたしの主観でみると、こういう世界が展開されていた。少なくとも、24歳までは。
なんですが、まあ、おかげさまで脱処女もできまして、その後の人生のことも加味するとすれば…まあ、ちょっと誇張して書いている、と言えるかもしれない
いや、遡って、それ以前も、もしかするとほーんのちょっと誇張して書いているかも…。

ということで今回は、実際どうなの、というところと、なぜその事実がわたしにとって歪んで認識されてしまうのかという部分をさらっと書いてみようかと思います。

 

本当は、ナンパは2回、痴漢は1回だけされています

ナンパや痴漢すらも避けて通る気持ち悪い見た目の女、という自己認識を、高校終わり頃~大学生くらいにかけて強固にしてしまったのですが、それよりずいぶん後、アラサーに突入せんとする最近になって、自分の実際と、この自己認識がずれてきてしまいました。
これ、ナンパとか、される前は、「可愛い女の子」がされるもんだと思ってたんですが、自分がいざされると、その認識が180度変わる。
「ブスで年増でバカそうだから、ちょっと可愛いって言ってやればすぐほいほいついてくるだろう」と思われているに違いない! と思うのですね。

いや、ナンパが全員そうだとは思ってないですよ。可愛いからしょっちゅうナンパされて困ってる女の子だっているでしょう。
でも、相手がわたしですよ。
「番茶も出花」と言われる18歳の頃ですら、男から見向きもされず、指一本触れられなかったナツメさんですよ?
そんな女に声掛ける理由なんて、それくらいしか思いつかない。

ていうか、多分、ナンパじゃないと思ってるんですよ。
ナンパを装った、キャッチとか、詐欺なんだと思うんですよね。
歳取って、金を持ってそうになったから、それでブスで可哀そうな感じがするから、すぐだまして金をむしり取れそう、って思われるようになったのかなと。

そう思うとですね、むかつくんですよ。非常に。
ブスだからってバカにしやがって! という思いで胸がいっぱいですよ。もう。

ちなみにこのパターンで、さらにバカにされたパターンがこのあいだありまして、それがウェディングドレスのショーモデルのスカウト。
最終的に、「○日だったらまだ空きがあるから出してあげられる」って言われましたからね。舐めすぎだろ。てめえがわたしに頼んでんじゃねえのかよ?ああ?

わたし、こうは言っても、自分のことそこまでブスとか思ってないんですよ。普通。ごくごく普通。せいぜい中の下ですよ。どこにでもいる。つまんない中肉中背ですよ。
そこまでバカにされる筋合いはねえと思うんですがね…なんなんすかね…。

 

24歳以前のいろいろとなかったことにしていること

「番茶も出花」と言われる18歳の頃ですら、男から見向きもされず、指一本触れられなかった、とさっき書きましたが、まあ、これも誇張です、すみません。
これは前もちょろっと書きましたけど、大学入ってすぐ、同じサークルの男の子に一目ぼれされたことがあります。
その子にはまあ、指一本くらいは触れられてはいます。
とはいえ、こないだ言ったように、直後に別の子と付き合っていたので、まあ、誰でも良かったんでしょうよ。
その後も、なんかわたし、一瞬Twitterモテ期みたいなのがあって、Twitterで趣味関係で知り合った男の子とかも居ないでもなかったんですが、まあ、進展はせず。わたしにその気もなかったのですが…。
みたいなことは、相手には悪いですが、「ノーカン」になってるんですね、わたしのなかでは。
なんか、なんだろう、セックスに至らなかったからなのか、うーん、なんか、誰でもよかったんだろうなあと思うからなのか…。

 

地獄の非モテクイーンではないけれど

まあ、そんなこんなで、性的、及び、性的な欲求に結びつくような異性との交流と言いますか、それが、生まれてこの方26年間、ゼロだった、というというわけではないのです。実は
とはいえ! とはいえですよ。
非モテには違いないですよね、上の経歴。
全く自慢にもならない。
ナンパのくだりに関しては寧ろ恥ずかしいくらい。
だったらされないほうが良かった、ような気もします。
いずれにせよ、惨めには変わりないなあ、とか…。
全く何もない、本当に性的接触ゼロの「完全なる非モテ」と、「普通」の境目のあたりに立っているような感じです。
キャラクターとしては、「完全なる非モテ」の方が、強いんですよ。
これまでそれで来ちゃったので、いまさらモテても…いや、モテられるもんならモテてみたいですけど、もう、ネガティブに捉える癖がついてる。
ま、まんまん万が一、相手が本当に、好意で言ってくれてるんなら、それを突っぱねてしまうのも悲しい話ですよね。
非モテ」として、「非モテ」が生きられないこの社会の生きづらさを訴えたいという気持ちは多分にあるのですが、今生きている自分はそれと切り離して、もう少しこう、楽にね、なれたらいいのになと思います。
とはいえ、自分を棚に上げた文章は面白くないとも思いますし…ジレンマですね。
これからもしばらくはその立ち位置を模索しながらやっていこうかなと思います。

コミュニケーションスキルとしての自虐

「卑怯な自慢」をするひとたち

あの、わたし、公式なニュースなり、記名の記事なりは取り上げるし、個人の私的なツイートも、批判とかでなければ取り上げるんですが、
今回話題にしたいことは、その人の性格に難癖つけてるみたいになってしまいそうなので、ここに引用はしません。
ので、前段はふわっとした物言いになってしまうのですが、気になる方は調べるか、わたしにこっそり聞いていただいて。
じゃあ、始めます。

少し前、とあるツイッターユーザーのつぶやきをスクショしたものが、TLに流れてきました。
そのスクショの内容は、なんというか、まあ、端的に言えば、自慢でした。
ただ、分かりやすい、いいでしょ! すごいでしょ! という自慢でなく、こう、なんと言えばいいか…。
褒められたりした内容を書きつつ、それに対して全然喜んでない、時によっては不快な「フリ」をして、そのツイートを見た人から、さらにその褒め言葉を引き出そうとするような内容、という感じでしょうか。
これね、載せられないのが非常にもどかしいですが、こっちが非常にフラットに見ていても、そう感じる書き方なのですよ。別に妬み嫉みとかではなく。
それ、言う必要ある? と感じるというか。その言葉の裏にものすごい肥大した自意識を感じるんです。(わたしに「肥大した自意識」と言われるって相当だとおもいますけどね!)
これね、なんか似た感じの例文をわたしが考えて書いた方がいいですね。きっと。

…と思って数分悩んだけどだめだ、わたしも自意識は肥大してるけど、完全に自虐の方に振り切れているので、全然思いつかない。考えているだけで恥ずかしくなってしまった。
ので、まあ、原文ママでないので許してもらうとして、その当該アカウントのある発言の、概要だけ説明しますね。
彼女は、とある、有名な美女キャラクターに似てるとよく言われると。そこで、嬉しいとか申し訳ないとか、そういう感想ではなく、彼女は、「最初はそのキャラクターを知らなかったから、なんのこと?と思った」と続けてしまう。

まあ、説明にしちゃうと伝わらないんですけど、つまり、「○○に似てるとよく言われて、今日も言われたのだけれど、最初の頃は○○を知らなくて、○○って●●(似た言葉)のことかしら?と思ったものだった」みたいな感じですね。
この、「たのだけれど」「ものだった」って感じも含めて、この違和感ですよ。
要は「美人と言われた」んだけど、そういう風には捉えてませんよ、むしろ何のことかわかりません、というアピールをしつつ、じゃあ言わなくてもいいのに、美人と言われたことはしっかり主張する、みたいな。
そのスクショをツイートした人も、素直に「わたしすごいでしょ!」って言って欲しい、とのコメントをつけてツイートしてたんですね。

んで、まあ、よくよく見渡してみれば、この手の人って結構いて。わたしの周りにもいるんですよ、こういう、卑怯な自慢をするひとって。
自慢を、気にしてないフリしつつ書いて、その出来事に対して「すごいね」「さすがだね」って言わせようとする人。
でも、本当に気にしてなかったら、わざわざ書かないですよね。書くってことは気にしてるわけです。気にしてませんよ、と書くこと自体が、不自然で、卑怯だなあと思います。

まあ、とはいえ、別にあげつらって叩くほどのことでもないと思うんです。
わたしはこの彼女をどうこう言いたいと言うより、なぜ彼女に対してわたし(たち)は違和感を持つのか? というところが気になっていて。
行き着いたのが、彼女のツイートには、「自虐がない」からではないか? というところでした。

 

例えばわたしなら

例えば、さっきの美女キャラの話、同じことをわたしがツイートしたらどうなるのか。
こうなります。
「今日○○に似てるって言われた!恐れ多い!ありがてえ!!たまに言ってもらえることがあるんだが、でもね!聞いて!わたしは!!ただ天パで眠そうなだけなんだ!!!それ以外に似てるとこはないんだ!!!」
「むしろなんか気を使っていただいたんだと思うので申し訳ない。。。でも実は結構嬉しかったです。。。」
まあ、天パで眠そうな美少女キャラはまずいないと思うけど、特定のキャラを想定しない例文なのでこんな感じで。
これが正解かどうかは別にして、このアウトプットになるには脳内で以下のプロセスがあるわけです。

褒められた(褒めたのかは厳密には不明だが、嬉しいことを言われた)
→嬉しいから言いたい、でも自慢と思われたくない
→それに、喜んじゃってるけど多分相手もお世辞で言ってるだろうから、その辺も分かっていたい
→でも言いたい
→まず喜びの報告
→次に、その褒め言葉が本来の自分に対し過剰評価であり、ほんとの自分は大したことがないというのをわかってますよというアピール
→お世辞を言わせてしまったことへの謝罪
→からの、とはいえ相手が良かれと思って言ってくれたことだろうから、最後は感謝で締めたい。

我ながらめんどくせえ…めんどくせえけど、褒められた話をネットで公開するって、それくらいデリケートなものだとも思うんです。

 

海外勢も自虐するらしいぞ

この件については、完全にリサーチ不足で申し訳ないんですが、この話を友人にしたときに、面白い情報をもらいました。
「海外のアニメファンの掲示板まとめ読んでるけど、海外勢ですら自虐するのにね」
とのこと。
そのまとめを見てみたんですが、わたしはアニメをほぼ見ないのでそもそも元ネタがわからず、例として適切な発言を見つけられなかったのですが。。。
自分に自信がなく自虐的で卑屈な日本人と、自信があり堂々と正しいことを主張する欧米人、というテンプレはもう通用しないのかもしれないなあ、と思いつつ、こんなことを考えました。

 

自虐は次世代のコミュニケーションスキルではないか?

わたしがさっきのような自虐的な物言いを敢えて用いる理由としては、「感情の伝わりづらい文字コミュニケーションを円滑に進めたい」という意図があるわけです。
不特定多数の匿名の人物が集まる掲示板で、海外勢が用いる自虐ネタも、おそらくそういう側面があるのではないかと。
一方で、それを用いなかった、冒頭のツイッターユーザーは叩かれてしまった。

これは、コミュニケーションツールの変化(インターネット上での未知/不特定の相手との文字のみのコミュニケーションの増加)に伴って生まれた、新しいコミュニケーションの様式ではないか? と思うのです。
なので、実際の対面のコミュニケーションでは、この様式はあまり推奨されません。
困ったことに、明るく積極的ではきはきと、それでいて上に従順で文句を言わない旧弊的な体育会系思考停止型コミュニケーションが、ことビジネスにおいては良しとされます。
自虐というコミュニケーション方法は、他人にとって望ましくない可能性がある発言をする際の、いわば免罪符なのかな、と。

あと、やっぱり、自慢する人って、客観的じゃない感じがします。それが、こう、見ててすごく恥ずかしい。
冒頭の彼女は、自慢は恥ずかしいとわかってるのに(だからあからさまに「いいでしょ!私美人なのよ!」とは言わない)、ついつい褒め乞食をしてしまっている。
その恥ずかしさに向き合ってないんですよね。だったら「いいでしょ!」って言われた方が何倍も可愛げがある。と思う。
まあ、それを恥ずかしい、と感じるは、おそらく、そういう要素がわれわれにも、誰にでもあって、でもそれは恥ずかしいことだから、と思って、自分で制限してることだからなんでしょうね。
(あと彼女は、基本的に褒めてくれた人への感謝とかコメントが一切なく、言ってくれた人がどう思ったのかなみたいな想像力がなくて、自分が褒められたという事実しか大事でない感じの書き方なので、それも大きい気がします。これは自虐と関係ないすね)

ちょっと話が散漫になってしまいましたが、言いたいのは、自虐は次世代(当世代)の(文字)コミュニケーションにかかせない、必須スキルなのではないか、ということです。
自虐を用いたコミュニケーションの様式が確立されつつあり、それをうまく用いれば、誤解を招きやすい、文字でのコミュニケーションがスムーズになる。
なぜ自虐なのか、というと、おそらく、文字でのコミュニケーションは(チャットだとしても)実際の会話よりも「ひとりで語る」ようになってしまう部分が多く、誰しもがある程度自意識を強く認識せざるを得なくなるからじゃないかな、と。
自分の自意識が強くなってるときって、人の自意識にも敏感になるものです。
お互いの敏感な自意識に配慮した結果が、自虐というかたちなのかな、と。

この「自虐」と「謙遜」の違い/関係性など、もう少し突き詰めたい部分もありますが、今回はこんな感じで。

ちなみにわたしの自虐は基本的に度を越しているらしいので真似しないでね!(よく、「そんなに卑屈にならなくても…」って言われるよ!)