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nach meiner Meinung

「わたしの意見では」。主にジェンダー領域に関わるような話を、学問レベルには足りないくらいのところで書いていきます。

なぜ女性向け風俗はない(少ない/メジャーでない)のか?

前段

先日(と言いながら数カ月経ってしまったが)、仕事中にツイッターをしていたら、面白いツイートが。

角田氏は学生時代の友人なのですが、こういう面白いことをぽっと言ったりする。
ここぞとばかりにリプを飛ばし、仕事中に小一時間ほど談義しました。
今回はそのまとめらしきものと、わたしの考えを少し。
女性向け風俗、あってもいいよね、でもその前に立ちはだかる大きな障害など。

なんでないんだろ?角田氏とナツメの見解の違い

引用だと見づらいので、本人の許可を得て、会話形式でその時のやりとりを公開。
こんな話を会社のデスクでしてました。

角田氏 女の人向けの風俗ってないの?
    なんで?
    という疑問は毎回思う。

ナツメ ないのかね?
    ないとしたらまあ、男性客・女性従業員より
    女性客・男性従業員の方が、

    客が犯罪の被害に遭いやすいからかな?
    男性向け風俗(女性従業員)は、
    一般的に言って力とかが弱い女性の側に
    会社(バックアップ)がつくからいいけど…っていう。

角田氏 あんま見たことないけどねー。
    頼みづらい点で無いのかと思っていたけど。
    あと、男の方が「特定の人とセックスしたい!」
    みたいな思いが薄いから
成立してんのかな。
    関係ないか。

    謎だし、不公平。

ナツメ わっからん。

    わたしがもし利用するとしたら、
    さっき言ったような怖さがネックかなと思った。
    でもおさわり系のホストクラブ?
    みたいなのはあるらしい…?

    所謂本当の一対一の風俗だとリスク感じるけど、
    オープンな空間での
    エロティックサービスならいいかも。

角田氏 そういう危機意識は男向けの風俗では
    感じたことなかったけど、あるもんなんだね。
    なるほどな。

    でも、女だって性欲あるわけだし、
    なんか中途半端なもんしか無いのはなんだかな。

    広まらない理由含め、
    イマイチ釈然としない思いがあるのよね。


ナツメ 釈然としないのが面白いな笑
    わたしは当事者的に、
    そこの危機意識は何にも勝ると思う
し、
    てかそこクリアしないと、
    そもそも気持ちよくならないと思う。
    そのリスクあるならオナニーでいいよって。

    だって、男側は嬢相手に発射して終わりだけど、
    こっちは妊娠すんだよ

角田氏 そうか、そのリスクか。そりゃ当然だ。
    なんでこんな当たり前のこと忘れていたんだ。
    反省。

    でも、子供産む大変さを負っている種族が、
    アホみたいな男より性サービスに
    恵まれていないのが、不公平に思える。
    女の人がいいならいいんだけど。

ナツメ 妊娠と性病怖い。
    あと別の線で行くと、女の人は
    しようと思えばタダでできるんだよね

    買ってくれる男の人がいるでしょう。
    だから女が金払って
    性サービスを買うっていうのが

    男女の文化的役割と
    噛み合わない
んじゃないかな。

    でもわたしまだ処女だったら金払ってたかもw

角田氏 うーん、買ってもらうのはこう、
    私が願う性サービスの理想とちがう。
    ちゃんとした風俗行くと、
    嬢の人本当丁寧で、おもしろいからさー。

    衣食住の一つとしてのエンタメを、
    こう、何いってんだおれは。

ナツメ 同じことでお金貰ってる女がいるのに、
    自分は払うってなんか惨めじゃん。
    女としての価値がないって感じで。
    っていう感覚はある。

    女が性をエンタメとして消費するには、
    リスクを極限まで下げないと
    いけないから難しいよね。

    だからAVかレズ風俗が限界と思うぞ。

 ----------

ナツメ ちなみにこんな感じらしい。
   (https://pan-pan.co/detail/35271
    でもググったら案の定
    「挿入NGなのに挿入されそうになった」
    とかあるから、
    やっぱり「客が被害に遭うから」は
    でかい気がするなぁ。
    嬢が無理矢理挿入しても
    被害にならないのか?
問題か?

角田氏 まだまだ店側のプロ意識が低いのか。
    未成熟な業界なんだろうね。

    嬢が無理やり挿入は、
    まず男が拒まない感ある。

    アホだな。
 

まとめると…

それぞれが思う女性向け風俗が少ない/メジャーでない理由は

(ナツメ)
・リスク(妊娠/性病)をクリアできないから?
・利用者が従業員側から暴力などを受ける可能性が高くなるから?
・女性はお金を払わなくても性行為にありつけるから?

(角田氏)
・頼みづらいから?
・女性のほうが「特定の相手との行為」にこだわるから?

「セックスとリスク」の認識の違い

まず前提として、角田氏の意見が「男の総意」だとも、わたしの意見が「女の総意」だとも思っていません。
そう扱うつもりもありません。
個人的な感想を言えば、角田氏はかなり女性に寄り添って考えている印象です。
でも、それでもわたしが「女性として」考えた意見と、こんなに違いがあるんだ! と驚いたのは、
「セックスにはリスクが伴う」という認識の度合いの違いです。

わたしが、未知の相手と実際にセックスをすることについて考える時、
まず頭をよぎるのは妊娠のリスク、ついでHIV性感染症のリスクです。
そこの問題がクリアになってはじめて、イチモツは大きい方がいいかとか、どういうプレイがいいかとかいう具体的な話が出てくる。
そこをクリアしないセックスの実施については、すべて却下です。
だって、そのリスクに思いを馳せた時って、めっちゃ怖いんですよ。
泣きたくなるくらい。
中絶することになって膣から細いはさみを入れられて中で胎児を刻むところとか考えるんですよ
HIVにかかって、その後本当に好きな人が出来てもセックスできず、毎日同じ時間に薬を飲んで、でも衰弱していくところを想像するんですよ。

まぢむり。。。

JK(JKなのか?)になるほど無理です。書いてて具合悪くなってきました。

いやね、昔は思ってましたよ。このままずっと処女だったら、お金払ってセックスしてもらうしかないんだ…って。
でもお金払ってセックスしてもらって、挙句性病にかかったり、中絶する羽目になったらもう、惨めの上塗りじゃないですか。しかも誰にも同情してもらえなそう。
だれも悲しんでくれない滑稽な悲劇の出来上がりです。
と、お得意のネガティブ妄想をとことん広げましたが、まあ、程度の差こそあれ、こういう感覚を持っている女性は少なくないんじゃないかと。
このリスクの部分をクリアして、完全に安心できますよ、という売り方が現状難しいから、女性向け風俗はない(あまり聞かない)んじゃないかなと。

でも角田氏は、わたしが「妊娠」と言うまでそのリスクを特に考えていなかったわけで。それが悪いとかではなく、わたしからしたら新鮮でした。
その後氏の発言で「エンタメとして」というものが出てきて、これもかなり面白かったのですが、たしかに、男性向け性サービスのバリエーションを見るに、まぎれもなくそれは「娯楽」なんでしょう。
そこにある「セックス」は、わたしが思うような現実の生活と地続きで切実なものでなく、一種の非日常だったり、選び取って、楽しめるものなんだろうなあ。
それ自体は、結構、羨ましいと思います。わたしもそんな風に性を遊びたい。

あと、不思議なのは、妊娠のリスクについては、もちろん女性のほうが高いし、自分ごとなのはわかるとして、性病については男女ともにリスクは等しいと思うんです。
正直、男性向けの風俗の具体的なサービスを知らないのでわかりませんが、感染の機会は完全に排除されてるんですかね?
まあ基本的にコンドームは装着するんでしょうけど…ゴムなしは男が強要することはあっても女はしないから大丈夫ってこと? そうだとしたらあまりにひどくない? など…。

セックスとプライド

この点はかなりわたしの独自性が強い気もするのですが、女性が性サービスを買うのって、男性がそれをするよりも、プライドの問題に関わってくる気がします。

女が金払って性サービスを買うっていうのが
男女の文化的役割と噛み合わないんじゃないかな 

同じことでお金貰ってる女がいるのに、自分は払うってなんか惨めじゃん。
女としての価値がないって感じで。っていう感覚はある。 

このあたりですね。

鶏と卵的になってしまいますが、やはり、性サービスは「男性が買う、女性が売る」ものだという固定観念があって、金銭が発生する限りそれは「価値」だとわたしは考えています。
女性の性には金銭的価値がある。
そしてこれは非常に問題がある認識であり、性産業従事者への偏見を助長する考えでもあると思うのですが、女性の「価値」のうち、「性」の価値は高値でありつつも誰でも=容姿や学歴などほかの「価値」が低い女性でも「売れる」もの、という認識が根強くある気がします
わたしが言った「女の人はしようと思えばタダでできる」というのもここから来ています。
最終的な目的は同じ「性行為」なのに、普通であればそれでお金をもらえるのに、もらうどころか自分が支払うって、すごく惨めじゃん。と、わたしは昔から考えることがありました。
どんな女でも性は売れるのに、わたしの性は売れないどころか、金をもらわないとやりたくもないんだ、って思いたくない。

この考え方は論理的に間違っていて、「売る自分の性」と「買う相手の性」はイコールではないんですね、本当は。
売るときは相手を選べないし、自分の望むプレイもできない。買うときは自分好みにカスタマイズすることができて、そのカスタマイズ性も含めてお金を払うんです。
「性を買う女」は「性を買ってもらえない女」とは限らない。
それは理性的に考えればわかるんですが、感覚的には、やっぱりプライドが許さない。

性に積極的なことも、「一般的な女性」としてはマイナス評価になりかねないということも理由にあるかもしれません。
彼氏とのセックスに対してちょっと積極的なくらいは可愛いかもしれないけど、性サービスを金で買うほど「飢えた」女は嫌だ、という「想像される男性の視線」が怖い、という感覚ですね。
これはいわゆる男性的な処女信仰(実在しているかは不明)を女性が内面化した場合です。


いずれにせよ、「性サービスを買う“ような”女」と思われることによる不利益を恐れている、というのは少なからずあるかと思います
(角田氏が言った「頼みづらい」というのも、このことかなと思います)

 

愛とセックスとわいせつ

ここまではわたしの言った意見について掘り下げましたが(暴力などのリスクは言わずもがななので省きますが)、角田氏の意見が的外れかというと、全然そんなことはないと思います。

男の方が「特定の人とセックスしたい!」みたいな思いが薄いから成立してんのかな。 

これ。
これ、面白いですね。どうなんでしょう。
わたしの場合は、特定のパートナーがいる時は、パートナー以外とはセックスしたくないです。
そして、プラトニックなパートナー以外とのセックスの経験がないので、「そうではない」セックスがどういうものなのか、いまひとつ想像がつかない。
つまり、わたしの中では「愛」と「セックス」は、今のところ不可分である、ということです。
愛なきセックスというものが自分の中に存在しない。

あとですね、これを書きかけの間に、こんな記事を読んだんです。

www.nikkeibp.co.jp

これ、めっちゃ面白かったのでぜひ全部読んでほしいんですけど(全4回)、この中にも今言ったことに関連しそうな言及がありました。

(筆者注:TENGA社長松本氏が、勤めていた会社を辞め、ものづくりの仕事をするために様々なプロダクトを見て回ってる中で、アダルトグッズ売り場で違和感を覚えたという話)

 

松本:(略)違和感の最大の原因は、棚に並んでいる商品が発している暗黙のメッセージであることに気が付きました。そのメッセージというのは、「マスターベーションは卑猥な行為なので、よりわいせつな気持ちで使ってください」というものです。

 

森辺:マスターベーションが卑猥な行為であるとされていて、だからそのときに使用するアダルトグッズも「卑猥なもの」であるのがふさわしい、というメッセージですね。

 

松本:はい。僕の周りの男性は、10人いたら10人が普通にマスターベーションをしています。にもかかわらず、その店の棚ではその行為を「特殊で、卑猥なことだ」と言っているわけです。
人の根本的な欲求なのに、特殊で卑猥なものとして表現されている。これは明らかに間違っている、と思ったんです。

この「卑猥さ」「わいせつさ」って、パートナーとのセックスにはないものじゃないですか?
個人的にセックス=性行為そのものを「卑猥」だとか「わいせつ」と思ったことはないです。
松本社長の言うように、オナニーも、そしてセックスも、「人の根本的な欲求」、なんならヘルシーなものだと思います。
「卑猥さ」や「わいせつさ」って、「愛」が欠如した場合に性的興奮を掻き立てるための「代替品」でしかないんじゃないかな、と思ったりしました。
この話はこれはこれで面白いので、また別の機会に深堀りできたらいいなと思います。

話を戻すと、「愛」が原動力となるヘルシーなセックスと、「卑猥さ」によって代替された性的興奮に基づくセックスは、そもそも毛色がかなり異なるのではないか、というのがわたしの意見です。
代替品だから悪いなんて事はなく、別物なんだから別に楽しめばいい、とも思いますし、前述したハードルがなくなれば、女性にとっても身近になるような気がします。
ポテチとかマックみたいな感じで、ヘルシーではないけどたまに食べたくなるもの、というようなイメージ。

こういう感じであってるかな、角田君?笑

 

エンタメとしての性/風俗

ここまでは若干ネガ寄りというか、問題点を色々と列挙してきました。
タイトルの「なぜ女性向け風俗はない(少ない/メジャーでない)のか?」については、上記の内容が現状の答え(の一部)になるのかなと思います。

じゃあ、最後に未来の話を。

(女性の目線で、男性に「買ってもらう」のは)
私が願う性サービスの理想とちがう。
ちゃんとした風俗行くと、嬢の人本当丁寧で、おもしろいからさー。
衣食住の一つとしてのエンタメを、こう、


角田氏の言う「エンタメとしての性風俗サービス」、これを女性が享受するにはどうすればいいのか?

そもそも、そういったものを女性が望んでいるの? というと、わたしに関しては「YES」です。
まあ、前述したように、特定のパートナーがいるときは個人的には必要ないと思うのですが、そうでない時に利用できるサービスがあると、うれしい。
たまには食べ放題に行って腹いっぱい食べたいように、
たまには時間を気にせず、昼過ぎまで寝ていたいように、
たまには疲れて飽きるまで性的快感を得たいと思うのはかなり普遍的な欲求だと思うのです。

その際に問題となるのは、何度も言うようにリスクの回避です。
妊娠、性感染症、さらにクローズドな空間での暴力の危険性。
そういったものが無い、ということが大前提になります。
いち女性(女性身体をもつもの)としての個人的な感覚ですが、そこがクリアにならない限り、わたしは絶対に利用しないな、とも思います。
男性が性風俗サービスを受ける際に想定するデメリットと、女性のそれは、相当な差があるんじゃないでしょうかね。

でも、実は最後の問題がクリアされれば、前の二つは自動的に解決される気がするんです。
曰く、コンドームの着用を徹底すればよい。
というか、そういったサービスで、コンドームを着用しないこと自体、暴力なわけです。
だけど、そこの徹底ってかなり不可能に近いんですよね。
だってそれができたらもうしてるでしょ
聞く耳を持たない暴力男が数パーセントいて、そいつに当たる可能性が0じゃないから、女性にとってのリスクはいつまでたっても減らない。
さてじゃあどうするか。。。。

実は、以前これの答えになるようなものを見たことがあるのです。
それは男性向け同人誌でした。
同人誌なので名前は伏せますが(気になる人はTwitterで聞いてください)、かなりぶっ飛んだ内容でした。
セックスのテーマパークがもしあったら…というようなもので、そこを訪れたいろんな女性が奔放に性をむさぼっており、その姿が抜ける!という趣旨のものでは合ったのですが、その架空のテーマパークのシステムが、意外と合理的なんじゃないか?と思ったのです。

男性は入場時にコンドームの着用が義務付けられており(かわいいキャストのお姉さんがつけてくれる)、男女ともに、「どこまでOKなのか」を示すステッカーを身につけている。
それを見て来場者同士で相手を探して、好きに行為に及ぶ、というわけです。
(ちなみにキャストとするには別料金がかかる設定でした笑)
さまざまなプレイができるアトラクションやエリアがあって、たとえば動物になりきってプレイするエリア、とか、個々人の性癖に合わせて楽しめるわけですね。

まじめに書くとすごい間抜けなんですが、これ、かなり理想的な、いわばユートピアじゃないかと思うんですよね。
まあ、入場時につけるコンドームとかは、リアルに考えるとつけっぱなしで外れないの? とか複数回に耐えるの? とか科学の進歩が待たれる部分もあるんですが笑、
システム化された、他者の監視下で、互いの意向を尊重して、対等な立場(行為する二者ないし複数者間で金銭の生じる関係はない)で、というのが、暴力の防止にすごく役立つと思うのです
密室で、二者間で、金銭がからんでいると、暴力は起きやすくなると思います。
それをオープンな空間にうつす。そうすると他者の目がある。それだけで抑止力になります。来場者同士でなく、テーマパークですから、パークの従業員もいるので、万が一そこで不穏な動きをする人がいれば、なんらかの対処をしてくれるでしょう。

多分これに近いのはいわゆるハプバーなのかな?と思うのですが(行ったことないので違うかもしれない)、暗いし、バーだと目が行きとどかないでしょうから、抑止力はまだ小さいのかな、と思います。

件の同人誌は、テーマパークなので、どうも屋外(の完全に囲われた空間)として描かれているんですよね。というか、デ○ズニーランド的なイメージですね。
オープンで見通せる空間、適当な間隔で配置された従業員(そして彼らはパークの雰囲気を壊さないような衣装・ふるまいである)、意思を表示するステッカー、好みで選べるアトラクション…安心安全に性を遊べるまさに夢の国!

あとは科学の進歩が魔法のコンドームを生み出し、その状況下で興奮できるように我々が進化できれば、実現待ったなしですね!
楽しみにしてるので誰か作ってください!

わたしは女である、というごく私的で内省的な宣言

お久しぶりです。
人生の転機は、本当になんでもない時に訪れるもので。
わたしは、今日、生まれて初めて、「わたしは女である」と、言える、そんな心持になりました。
これまでの記事を読んでもらっている方は、これがちょっとすごいことだと、わかって頂けるかもしれません。
とつぜんに訪れたこの転機について、少し書いておきたいと思います。

決壊のきっかけは、とあるマンガだった

今日もいつものようにTLを眺めていて、何気なくリンクを開いたら、マンガが出てきました。
そんなに長くないので、是非最後まで読んでください。

note.mu

わたしは休憩中、会社の休憩室のソファで軽く横になって仮眠を取るのですが、その体勢でこれを読んでいて、涙が出てきてしまい、あわてて寝たふりをして誤魔化しました。

これが、つまり、「女であること」でした。

「女らしさ」を「愚かさ」と教えこまれた20年間

わたしは、一人っ子でとても優秀な「いい子」でした。
反抗期もなく、つねに成績優秀で、しかしガリ勉ではなく、趣味が多く、両親と非常に仲が良かった。
両親はわたしに対し、「女の子だから~」と言ったような物言いをすることもなく、特に母親は比較的リベラルな方だと…ずっと思っていました。
ですが、少し過剰な面もありました。
彼女は、女性性をひどく毛嫌いしていた。
それにはある事情があるのですが、いずれにせよ、彼女にとっては、女性性、女らしさ、女性の性的アピールのようなものはことごとく悪で、醜く、愚かなものに思えているようでした。
その価値観を、わたしは約20年間にわたり教えこまれ、完璧に内面化していました。

しかし、母はわたしに、何かを強制したり、強要したり、直接的に求めたりするような言い方は、決してしませんでした。
あくまで、価値観としてそれを植えつけるのです。
少し露出の多い服装の女の子を見かけると、
「自分の娘がもしああだったら絶対に嫌だ」
と言い、
母の知人が、若い頃にモテて、男性にご飯をおごってもらっていたというような話を、嫌悪感をにじませながら、非常に馬鹿にした言い方で聞かせ、
年頃のわたしが、全然モテないと悩みを打ち明けると、
「ナツメは美人だから高嶺の花なんだ。モテるような女はブスばっかりだ」
と言う。
この頃にはわたしもこの価値観を完璧に内面化していたので、母と一緒になって、モテる女性や、若い女性らしいファッションを楽しむ女の子を、馬鹿にしていました。
わたしは中学生、高校生になっても、スカートの下にはつねに短い黒のスパッツを履いていたし、胸元が見えないように、つねにキャミソールを着て、時にはそれをテープで肌に貼り付けていました。
それが母の教えであり、「愚かでだらしのない(=母に嫌われるような)女の子にならないために必要なこと」でした。

母は、「恋愛もの」も嫌いで、馬鹿にしていたフシがあります。
惚れた腫れた、盗った盗られたの色恋沙汰で悩むのは馬鹿らしい、だから恋愛ものの少女漫画はつまらないと言っていました。
この価値観も、わたしはまんま踏襲してしまい、いまだに恋愛ものの少女漫画の楽しみ方がよくわかりません。

もちろん、これが母の全てではありません。ごくごく、本当にごく一部の言動をピックアップしています。
有意義なことも教えてもらったし、楽しい思い出もたくさんあります。時間で言えば、それらの方がずっと多い。
でも、この「女」に関する、彼女の態度への違和感は、喉に刺さった魚の小骨のように、ずっとひっかかって、取れていません。
だからこうやって、今でも鮮明に思い出す。
これが、わたしの、「呪い」でした。

「ズルいよ!」と叫んだのは「女の子のわたし」だった

さきほどのakkoさんのマンガを読んでいて、心の中の抑え込まれたもう一人が「ずるいよ!」と叫んで飛び出してくるシーン、
その「ずるいよ!」という文字を見た時に、わたしはものすごい、ショックを受けました。
「ズルいよ!」
それは、わたしの心の一番奥でずっと叫んで、押し殺している言葉そのものだったから。
本当に、あのシーンそのままなんだけれど、わたしの気持ちを、これまでのブログの内容とかも絡めながら文章にすると、こんな感じ。

「ズルいよ! 女の子は媚びたり、露出したり、それで男の人にチヤホヤされたり、性的に見られたらいけないんだよ!
 それは、醜くて、愚かで、恥ずかしい事なの!
 そんな風になったらお母さんに嫌われちゃうの! 愛されなくなるの!
 だからやっちゃだめなの! 人から女扱いされちゃだめなの! なのになんで!?
 なんで女性らしさをアピールしても許されるの!?
 なんで女扱いされてるのに堂々としてるの!?
 女として見られないようにしなきゃいけないのに、何で痴漢とか、盗撮とか、男の人に性的に見られてしまったことを、堂々と言うの!?
 なんでそんなこと言って、女として見られて、それで許されるの!?
 ズルいよ! わたしだって、本当は可愛いって言われたい、女の子として見られたい
 男の子にチヤホヤされてみたかったし、それで愛されたかった!
 でもそうしたらお母さんに嫌われる! 存在を否定されるんだよ!!
 だからわたしは全部ガマンした! なんでみんなガマンしないの!? 
 そんなのおかしい!! 女として堂々としてる人はみんな嫌われなきゃだめ!!!」

ここで初めて、わたしは、「ふつうの女の子であること」を我慢してたことに気付きました。
わたしが女の要素をもっていないんじゃなくて、「わたしは女の要素を持っていてはならない」と、自分自身で思っていたんだな、と。
「わたしが他人から女扱いされない」んじゃなく、「わたしが他人に女扱いさせない」だけだったんだな、と。

だから、わたしは、わたしにこう言ってあげようと思います。

お母さんに嫌われても、あなたの人生はあなたのものだから、いいんだよ。
 みんなと同じように、あなたも女の子でいて、いいんだよ。
 かわいくして、女の子らしくして、男の子にチヤホヤされてもいいんだよ。
 嫌なことがあったときに、自分は女に見られないはずだから、人間として非常に程度が低く見えて、馬鹿にされたんだとか、思わなくてもいいんだよ。
 あなたは、少なくとも、他人から見て、男には見えないよ。
 女の姿かたちをしているよ。
 そして、女のかたちをしたものに、嫌なことをするひともいるよ。
 よくもわるくも、あなたは女だよ。
 だから、これからは、あなたがなりたかった女、女の子として、生きていいんだよ

どこで失敗したのか

おそらく、この事態を招いた大きな原因のひとつが、反抗期がなかったことだと思います。
わたしは、母の言うことに、疑念を差し挟まなかった。
いや、厳密に言えば、違和感はありました。
学部生の頃、学内のカウンセリングルームに通っていて、そこで母の話もしていた記憶があります。
母に極端なところがあり、わたしはそれに違和感がある。だけれども、違和感を持つこと自体に大きな罪悪感がある。
カウンセラーから、そのことについて有益な助言を貰った覚えはありません。
わたしは罪悪感に負け、その違和感を打ち消し続けてしまいました。

ひとり暮らしを始めて、わたしの心、情緒はだいぶ落ち着いてきたと思います。
このタイミングだったから、akkoさんのマンガを読んで、「これはわたしだ!」と気付けた。
同居していたころだったら、きっと気付けなかったでしょう。
それほど、わたしは母と自分を混同していたのかもしれません。
母に嫌われたら世界が終わる、と言うような感覚だった気がします。

なぜ反抗期が来なかったのか、なぜ同一視から抜け出せなかったのか。
これは一種洗脳のようなものだったとも思いますが、それにしても、わたしにも問題があったのかなあと思います。

悔やんでももう仕方ないですが、わたしは27年間を無駄にしました。
どうやったらこんなことにならずに済んだのか、それはこれからもし分かれば、共有して、同じような境遇の子にとって何かのヒントになれば良いなと思います。

生まれて初めて、「わたしは女である」と言う

休憩時間に何気なく見たマンガで、わたしは、ある意味で生まれ変わりました。
20年来の呪いが解けて、「性別のわからない、気持ち悪い生き物」から「女」へ。
もちろん、いままでの価値観が全くなくなるわけではありません。
やはり、女であるまえに人間だと思っているので、わたしの人格は性別と切り離された部分が多いと思います。
でも、わたしは社会的に、女性である。
そう断言できるのは、生まれて初めてのことです。

考えてみれば、やはり外見上はどう見ても女ですし、男と間違われたこともないので、他人はきっとわたしを「女」として判別しているはずです。
「女であってはならない」という前提にたった言動が違和感を与えていた可能性はありますが、それでも区分としては、これまでも「女」に振り分けられていたはず。
今日からは、自分でも、そう思って生きてみます。
わたしは女なんだ。
そう思うことがこんなに嬉しいとは思いませんでした。

きっと何も変わらないけど、少しだけ楽に生きていくことが出来そうです。

持ち味の面倒臭さは少し減ってしまうかもしれませんが、これからもよろしくどうぞ。

シリーズ拡大解釈2・マンガのブス表現が辛すぎる件と、みなさんへ質問

電子コミック、読む?

まさかの2回目ありました。シリーズ拡大解釈です。

このブログも当然そうですが、ネットを閲覧してると、広告が出てきますよね。
スマホで見ると、電子コミックの広告がよく出てきます。
わたしは、これ、結構読んじゃうほうです。
課金はしたことないですが、最近は1巻まるごと無料で読めたりしますよね。
最近の広告は、検索や閲覧などの履歴から、そのひとに合った広告を出して来たりするので、わたしのところには、自分が読んだのと似たようなジャンルの広告が多く出てきます。

ひとつは、社会派のやつ。こういうのですね。

f:id:frogfrogfrosch:20160425222614g:plain


んで、もうひとつは、これ内容というより、広告の切り口としてこういう切り取り方があるんじゃないかなと思っているんですが、「ブス」訴求のもの。
こういうやつです。

f:id:frogfrogfrosch:20160425222623g:plain

f:id:frogfrogfrosch:20160425222645g:plain


Twitterをご覧頂いている方はもうご存知かもしれませんが、わたしは重度の外見コンプレックスを抱えておりまして(これまでの記事でも少し触れたかとは思いますが)、
なので、こういう広告を出されると、見ざるを得ない。
そして、「ブス」の側に最大限感情移入して、辛くなるわけです。

 

ナツメさんはいかに感情移入するか

もちろん上の2作品も読みました。無料の範囲ですが。
特に、上の『親なるもの 断崖』は辛かった…。

  • 『親なるもの 断崖』

まんが王国 『親なるもの 断崖』 曽根富美子の電子書籍・漫画(コミック)を無料で試し読み[巻]

広告に出てくる、「地獄の郭」のシーンは無料の範囲には出てこないし、そもそもこの「醜女」とされている子は、本編ではあまり重要な役どころじゃない。でも、それゆえにさらに悲しいじゃないですか。

これは、昭和初期に青森から北海道の遊郭に売られてきた4人の少女の話なんですが、この4人の構成というのが、別嬪、別嬪、別嬪、ブスなんですよ。
もはやこの時点でブスの子にしか感情移入できない。

しかも、冒頭10ページ目くらいの回想シーンが、いきなりひどい。
別嬪のうちのひとりが、自分は最初から「売り物」として育てられたと怒りをにじませながら嘆くんですが、それを聞いてブスの子は自分が売られた時のことを思い出す。
裸に剥かれて値踏みをされて、その値を聞いた父親が娘にこう言う。

「この親不孝者めが! おめえはたった九十円にしかならねえ体だと!
 顔もまずい 体もずんぐり こったら女に育ちやがって この親不孝者!」

それに対し、娘は「父ちゃん 母ちゃん すまねっす」と謝るんですよ。


よし、死のう!!!


鬱すぎて明るくなっちゃったよ。

顔もまずくて体もずんぐり、90円にしかならない体なんて、若い盛りに男の人に触れたいとすら思われなかったわたしが、他人ごとと思えるわけがない。
むしろわたしは(現代の)90円ですら売れないかも…女の部分で金銭価値が発生するとは思えない。皿洗いとしての方がまだ価値がある。
脱線しましたが、もう、我がことのように辛いわけです。

別嬪の3人も、美しいがゆえに女としての困難や苦痛が次から次へと降りかかるんですが、いかんせんこちらは醜いので、同じ土俵にも上がれていない。
はあ、大変だなあ、辛いんだろうなあとは思う。悲しいなあとも思う。でもね、感情移入できない、というか、「してはいけない」という感覚になるんですよ。
醜いわたしが、人並みやそれ以上に、「男に求められ/搾取される(“彼女達”の言葉で言えばだが)」ことに対して、共感してあまつさえ同情するなんて、なんて図々しいんだ、鏡を見てみろ! と、頭のなかで誰かが言うんですね。

一方でブスの子の方は、さらに共感せざるを得ないことになる。それが広告の、「女郎になりてえ!」という部分。

女郎になあ…なりてえよなあ…。

売春、という呼び方は不適切と言われるかもしれませんが、それが、いかに辛いか、大変か、やらずに済むならならない方がいいか、そういうことがたくさん言われているのは知っているし、実際に辛い思いをしてる人もたっくさんいるんだろうと思う。
でもね、醜くて、女として見られない人間にとっては、なによりも憧れる仕事なんですよ、それは。
わたしはAV女優とか風俗嬢とか、めちゃくちゃ尊敬していると言うか、人間としても価値がわたしの何億倍もあって、ヒエラルキーにしたらばわたしは最下層の中の最下部で、彼女たちは雲の上の存在だと思ってる。
「女である」という職業、肩書き、それがあれば女として見られて、相場よりとんでもなく低かったとしても、金銭的価値が発生するならば、そこで生まれて初めて、「女で生まれた意味/価値」が自分にあると思えるじゃないですか。
だから、女が、特に醜い女が自ら「女郎になりたい」と言うこのシーンは、すごく意味があると思う。

なんだけど、この子の話はメインにはならなくて、だから、余計悲しいですよね。
わたしにはこの子のストーリーしか共感できないけど、作者、ないし想定される読者はそうじゃないんだな、美しい女たちの苦痛がわかる、それに対して自分が何かを思うことすら許されないなんて思わないんだなと。

 

  • 『オーダーメイド』


2個目の「オーダーメイド」は1話が前後編になってるもので、広告に載っているのは第1話の後編のストーリーです。

まんが王国 『オーダーメイド』 高橋一仁の電子書籍・漫画(コミック)を無料で試し読み[巻]


軽くネタバレになりますが、この作品は、1本500万の「オーダーメイド」AVを、注文した人の話と、その裏側で、なんらかの理由があり別人に整形しオーダーメイドAVに出演する女の話が一組になっています。
広告の話は「裏」側で、バナーにある通り、醜い容姿で、友達も恋人もいない女が、難病になり余命わずかと宣告されます。そこに、整形してAVに出たい人募集というメールが来て…という、まあ、導入はかなりご都合主義ではあるのですが、彼女の動機もまた、どうせ死ぬならセックスがしたい、というもの。

わっかる…。


ネタバレが続きますが、整形して美しくなり、撮影で初めてのセックスを体験した彼女は、治療費が欲しいからではなく、「もっとセックスがしたいから」、この仕事をずっと続けるという決意をします。
毎回骨格レベルで整形をするので、続けるとどうなるかわからない、と言われても、それでもいい、と。

(正直、1回目の手術で綺麗になったんだから、それこそ普通のAVに出るとか風俗やるとか、あるいは普通に彼氏作ることだってできると思うのですが、それは野暮なので突っ込まないようにします)

そうやってつぎはぎだらけの身体になってもセックスを求める彼女を見て、オーダーメイドAV制作会社のメンバーの女性(ヘアメイク担当)がいう台詞があるんですね。

「ブスに生まれるってカワイソー」

ああ、かわいそうなんだ、わたしって、やっぱり。
と、思ってしまいました。
別にこのキャラや作者に対して怒ってるわけではなく、ああ、やっぱりなと。
わたしは整形するほうのキャラに完全に同化してしまっているので、彼女への評価=自分への評価(もそんなもんだろう)と。

ただ、一方で、みんなは「ブス」の方に共感しないのか? とも思います。
それは、「ブス」キャラの描き方が、わたしの移入度に比較してあまりに軽く、他のキャラの方が厚く描かれていると感じることや、さっきの「カワイソー」のような、共感して読んでたら結構刺さる言葉が、やはりかなり軽いタッチで使われてることなどから、そう思うわけですね。

上記2つは比較的シリアスに「ブス」を描いていましたが、笑いの対象として描かれる「ブス」を見ると、もっとわかりやすいかもしれません。

 

笑っていいブス?

たとえばこれ。

とあるフリーターの日常09

このページの最後に「ブス」の女の子が出てきます。
ちなみにですが「可愛い女の子」の登場シーンはこれ。

とあるフリーターの日常14

これ、この「ブス」の子のくだり、笑えるんですかね…?
わたしは笑えないんですよね、ああ、こう思われてるのか、やっぱり…と、ここでも。
やっぱり、怒ったりってことはないんですが、しょんぼりはします。
この、点数つけるやつ恐いですよねえ。わたしマイナス5億点くらいだと思われてるよきっと…。

というか、やはりマンガの世界観て、女性向けにしても男性向けにしても、女の子って「可愛い」か「ブス」かしかいないですよね。
女性向けはほぼ全女性登場人物が「可愛い」ですね。男性向けには、こうやって「可愛い」子と「ドブス」が出てくることが多い。
これは、マンガだからなのか、現実もそういう切り取り方で見る人が多いのか…どっちなんですかね。

 

皆さんに質問

このブログ初の、読者のみなさんへの質問で終わりたいと思うのですが、
マンガで「ブス」の子が出てきたとき、どんな風に感じるものなんでしょうか。
わたしみたいに感情移入するのか、笑うのか、あまり気にしないのか。
わたしの文章も相当偏ってると思うので、それに対しての感想でも構いません。
このブログ、そもそもとてもコメントしづらいと思いますが、是非お気軽に。
Twitterでもお待ちしております。

ちょっと脇道、ほんとのはなし 非モテと普通の境界上

実際のナツメさんてどうなのよ

という興味を持っていただいているかどうかはわかりませんが、
わたしはこの記事

frogfrogfrosch.hatenablog.com

や、この記事

frogfrogfrosch.hatenablog.com

で、散々、自分がいかにモテず、惨めな半生を送ってきたかということを切々と綴ってきました。
これは、嘘ではないのです。わたしの主観でみると、こういう世界が展開されていた。少なくとも、24歳までは。
なんですが、まあ、おかげさまで脱処女もできまして、その後の人生のことも加味するとすれば…まあ、ちょっと誇張して書いている、と言えるかもしれない
いや、遡って、それ以前も、もしかするとほーんのちょっと誇張して書いているかも…。

ということで今回は、実際どうなの、というところと、なぜその事実がわたしにとって歪んで認識されてしまうのかという部分をさらっと書いてみようかと思います。

 

本当は、ナンパは2回、痴漢は1回だけされています

ナンパや痴漢すらも避けて通る気持ち悪い見た目の女、という自己認識を、高校終わり頃~大学生くらいにかけて強固にしてしまったのですが、それよりずいぶん後、アラサーに突入せんとする最近になって、自分の実際と、この自己認識がずれてきてしまいました。
これ、ナンパとか、される前は、「可愛い女の子」がされるもんだと思ってたんですが、自分がいざされると、その認識が180度変わる。
「ブスで年増でバカそうだから、ちょっと可愛いって言ってやればすぐほいほいついてくるだろう」と思われているに違いない! と思うのですね。

いや、ナンパが全員そうだとは思ってないですよ。可愛いからしょっちゅうナンパされて困ってる女の子だっているでしょう。
でも、相手がわたしですよ。
「番茶も出花」と言われる18歳の頃ですら、男から見向きもされず、指一本触れられなかったナツメさんですよ?
そんな女に声掛ける理由なんて、それくらいしか思いつかない。

ていうか、多分、ナンパじゃないと思ってるんですよ。
ナンパを装った、キャッチとか、詐欺なんだと思うんですよね。
歳取って、金を持ってそうになったから、それでブスで可哀そうな感じがするから、すぐだまして金をむしり取れそう、って思われるようになったのかなと。

そう思うとですね、むかつくんですよ。非常に。
ブスだからってバカにしやがって! という思いで胸がいっぱいですよ。もう。

ちなみにこのパターンで、さらにバカにされたパターンがこのあいだありまして、それがウェディングドレスのショーモデルのスカウト。
最終的に、「○日だったらまだ空きがあるから出してあげられる」って言われましたからね。舐めすぎだろ。てめえがわたしに頼んでんじゃねえのかよ?ああ?

わたし、こうは言っても、自分のことそこまでブスとか思ってないんですよ。普通。ごくごく普通。せいぜい中の下ですよ。どこにでもいる。つまんない中肉中背ですよ。
そこまでバカにされる筋合いはねえと思うんですがね…なんなんすかね…。

 

24歳以前のいろいろとなかったことにしていること

「番茶も出花」と言われる18歳の頃ですら、男から見向きもされず、指一本触れられなかった、とさっき書きましたが、まあ、これも誇張です、すみません。
これは前もちょろっと書きましたけど、大学入ってすぐ、同じサークルの男の子に一目ぼれされたことがあります。
その子にはまあ、指一本くらいは触れられてはいます。
とはいえ、こないだ言ったように、直後に別の子と付き合っていたので、まあ、誰でも良かったんでしょうよ。
その後も、なんかわたし、一瞬Twitterモテ期みたいなのがあって、Twitterで趣味関係で知り合った男の子とかも居ないでもなかったんですが、まあ、進展はせず。わたしにその気もなかったのですが…。
みたいなことは、相手には悪いですが、「ノーカン」になってるんですね、わたしのなかでは。
なんか、なんだろう、セックスに至らなかったからなのか、うーん、なんか、誰でもよかったんだろうなあと思うからなのか…。

 

地獄の非モテクイーンではないけれど

まあ、そんなこんなで、性的、及び、性的な欲求に結びつくような異性との交流と言いますか、それが、生まれてこの方26年間、ゼロだった、というというわけではないのです。実は
とはいえ! とはいえですよ。
非モテには違いないですよね、上の経歴。
全く自慢にもならない。
ナンパのくだりに関しては寧ろ恥ずかしいくらい。
だったらされないほうが良かった、ような気もします。
いずれにせよ、惨めには変わりないなあ、とか…。
全く何もない、本当に性的接触ゼロの「完全なる非モテ」と、「普通」の境目のあたりに立っているような感じです。
キャラクターとしては、「完全なる非モテ」の方が、強いんですよ。
これまでそれで来ちゃったので、いまさらモテても…いや、モテられるもんならモテてみたいですけど、もう、ネガティブに捉える癖がついてる。
ま、まんまん万が一、相手が本当に、好意で言ってくれてるんなら、それを突っぱねてしまうのも悲しい話ですよね。
非モテ」として、「非モテ」が生きられないこの社会の生きづらさを訴えたいという気持ちは多分にあるのですが、今生きている自分はそれと切り離して、もう少しこう、楽にね、なれたらいいのになと思います。
とはいえ、自分を棚に上げた文章は面白くないとも思いますし…ジレンマですね。
これからもしばらくはその立ち位置を模索しながらやっていこうかなと思います。

コミュニケーションスキルとしての自虐

「卑怯な自慢」をするひとたち

あの、わたし、公式なニュースなり、記名の記事なりは取り上げるし、個人の私的なツイートも、批判とかでなければ取り上げるんですが、
今回話題にしたいことは、その人の性格に難癖つけてるみたいになってしまいそうなので、ここに引用はしません。
ので、前段はふわっとした物言いになってしまうのですが、気になる方は調べるか、わたしにこっそり聞いていただいて。
じゃあ、始めます。

少し前、とあるツイッターユーザーのつぶやきをスクショしたものが、TLに流れてきました。
そのスクショの内容は、なんというか、まあ、端的に言えば、自慢でした。
ただ、分かりやすい、いいでしょ! すごいでしょ! という自慢でなく、こう、なんと言えばいいか…。
褒められたりした内容を書きつつ、それに対して全然喜んでない、時によっては不快な「フリ」をして、そのツイートを見た人から、さらにその褒め言葉を引き出そうとするような内容、という感じでしょうか。
これね、載せられないのが非常にもどかしいですが、こっちが非常にフラットに見ていても、そう感じる書き方なのですよ。別に妬み嫉みとかではなく。
それ、言う必要ある? と感じるというか。その言葉の裏にものすごい肥大した自意識を感じるんです。(わたしに「肥大した自意識」と言われるって相当だとおもいますけどね!)
これね、なんか似た感じの例文をわたしが考えて書いた方がいいですね。きっと。

…と思って数分悩んだけどだめだ、わたしも自意識は肥大してるけど、完全に自虐の方に振り切れているので、全然思いつかない。考えているだけで恥ずかしくなってしまった。
ので、まあ、原文ママでないので許してもらうとして、その当該アカウントのある発言の、概要だけ説明しますね。
彼女は、とある、有名な美女キャラクターに似てるとよく言われると。そこで、嬉しいとか申し訳ないとか、そういう感想ではなく、彼女は、「最初はそのキャラクターを知らなかったから、なんのこと?と思った」と続けてしまう。

まあ、説明にしちゃうと伝わらないんですけど、つまり、「○○に似てるとよく言われて、今日も言われたのだけれど、最初の頃は○○を知らなくて、○○って●●(似た言葉)のことかしら?と思ったものだった」みたいな感じですね。
この、「たのだけれど」「ものだった」って感じも含めて、この違和感ですよ。
要は「美人と言われた」んだけど、そういう風には捉えてませんよ、むしろ何のことかわかりません、というアピールをしつつ、じゃあ言わなくてもいいのに、美人と言われたことはしっかり主張する、みたいな。
そのスクショをツイートした人も、素直に「わたしすごいでしょ!」って言って欲しい、とのコメントをつけてツイートしてたんですね。

んで、まあ、よくよく見渡してみれば、この手の人って結構いて。わたしの周りにもいるんですよ、こういう、卑怯な自慢をするひとって。
自慢を、気にしてないフリしつつ書いて、その出来事に対して「すごいね」「さすがだね」って言わせようとする人。
でも、本当に気にしてなかったら、わざわざ書かないですよね。書くってことは気にしてるわけです。気にしてませんよ、と書くこと自体が、不自然で、卑怯だなあと思います。

まあ、とはいえ、別にあげつらって叩くほどのことでもないと思うんです。
わたしはこの彼女をどうこう言いたいと言うより、なぜ彼女に対してわたし(たち)は違和感を持つのか? というところが気になっていて。
行き着いたのが、彼女のツイートには、「自虐がない」からではないか? というところでした。

 

例えばわたしなら

例えば、さっきの美女キャラの話、同じことをわたしがツイートしたらどうなるのか。
こうなります。
「今日○○に似てるって言われた!恐れ多い!ありがてえ!!たまに言ってもらえることがあるんだが、でもね!聞いて!わたしは!!ただ天パで眠そうなだけなんだ!!!それ以外に似てるとこはないんだ!!!」
「むしろなんか気を使っていただいたんだと思うので申し訳ない。。。でも実は結構嬉しかったです。。。」
まあ、天パで眠そうな美少女キャラはまずいないと思うけど、特定のキャラを想定しない例文なのでこんな感じで。
これが正解かどうかは別にして、このアウトプットになるには脳内で以下のプロセスがあるわけです。

褒められた(褒めたのかは厳密には不明だが、嬉しいことを言われた)
→嬉しいから言いたい、でも自慢と思われたくない
→それに、喜んじゃってるけど多分相手もお世辞で言ってるだろうから、その辺も分かっていたい
→でも言いたい
→まず喜びの報告
→次に、その褒め言葉が本来の自分に対し過剰評価であり、ほんとの自分は大したことがないというのをわかってますよというアピール
→お世辞を言わせてしまったことへの謝罪
→からの、とはいえ相手が良かれと思って言ってくれたことだろうから、最後は感謝で締めたい。

我ながらめんどくせえ…めんどくせえけど、褒められた話をネットで公開するって、それくらいデリケートなものだとも思うんです。

 

海外勢も自虐するらしいぞ

この件については、完全にリサーチ不足で申し訳ないんですが、この話を友人にしたときに、面白い情報をもらいました。
「海外のアニメファンの掲示板まとめ読んでるけど、海外勢ですら自虐するのにね」
とのこと。
そのまとめを見てみたんですが、わたしはアニメをほぼ見ないのでそもそも元ネタがわからず、例として適切な発言を見つけられなかったのですが。。。
自分に自信がなく自虐的で卑屈な日本人と、自信があり堂々と正しいことを主張する欧米人、というテンプレはもう通用しないのかもしれないなあ、と思いつつ、こんなことを考えました。

 

自虐は次世代のコミュニケーションスキルではないか?

わたしがさっきのような自虐的な物言いを敢えて用いる理由としては、「感情の伝わりづらい文字コミュニケーションを円滑に進めたい」という意図があるわけです。
不特定多数の匿名の人物が集まる掲示板で、海外勢が用いる自虐ネタも、おそらくそういう側面があるのではないかと。
一方で、それを用いなかった、冒頭のツイッターユーザーは叩かれてしまった。

これは、コミュニケーションツールの変化(インターネット上での未知/不特定の相手との文字のみのコミュニケーションの増加)に伴って生まれた、新しいコミュニケーションの様式ではないか? と思うのです。
なので、実際の対面のコミュニケーションでは、この様式はあまり推奨されません。
困ったことに、明るく積極的ではきはきと、それでいて上に従順で文句を言わない旧弊的な体育会系思考停止型コミュニケーションが、ことビジネスにおいては良しとされます。
自虐というコミュニケーション方法は、他人にとって望ましくない可能性がある発言をする際の、いわば免罪符なのかな、と。

あと、やっぱり、自慢する人って、客観的じゃない感じがします。それが、こう、見ててすごく恥ずかしい。
冒頭の彼女は、自慢は恥ずかしいとわかってるのに(だからあからさまに「いいでしょ!私美人なのよ!」とは言わない)、ついつい褒め乞食をしてしまっている。
その恥ずかしさに向き合ってないんですよね。だったら「いいでしょ!」って言われた方が何倍も可愛げがある。と思う。
まあ、それを恥ずかしい、と感じるは、おそらく、そういう要素がわれわれにも、誰にでもあって、でもそれは恥ずかしいことだから、と思って、自分で制限してることだからなんでしょうね。
(あと彼女は、基本的に褒めてくれた人への感謝とかコメントが一切なく、言ってくれた人がどう思ったのかなみたいな想像力がなくて、自分が褒められたという事実しか大事でない感じの書き方なので、それも大きい気がします。これは自虐と関係ないすね)

ちょっと話が散漫になってしまいましたが、言いたいのは、自虐は次世代(当世代)の(文字)コミュニケーションにかかせない、必須スキルなのではないか、ということです。
自虐を用いたコミュニケーションの様式が確立されつつあり、それをうまく用いれば、誤解を招きやすい、文字でのコミュニケーションがスムーズになる。
なぜ自虐なのか、というと、おそらく、文字でのコミュニケーションは(チャットだとしても)実際の会話よりも「ひとりで語る」ようになってしまう部分が多く、誰しもがある程度自意識を強く認識せざるを得なくなるからじゃないかな、と。
自分の自意識が強くなってるときって、人の自意識にも敏感になるものです。
お互いの敏感な自意識に配慮した結果が、自虐というかたちなのかな、と。

この「自虐」と「謙遜」の違い/関係性など、もう少し突き詰めたい部分もありますが、今回はこんな感じで。

ちなみにわたしの自虐は基本的に度を越しているらしいので真似しないでね!(よく、「そんなに卑屈にならなくても…」って言われるよ!)

君は性的でない身体を生きたことがあるか?

前段 「性的でない女」は存在するのか

前回、「わたしは非モテである」と書きましたが、厳密に言うと少し違います。
非モテ」は「恋愛対象としての引き合いがない」ということだと思いますが、
わたしの場合は更に広く、「性対象としての引き合いがない」なんですね。
「付き合いたい、セックスしたい」とも思われなければ、「付き合いたくないけどセックスはしたい」とも思われず、究極的にはエロいな、触りたいな、見ていたいなという類の感情を一切引き起こさない、そういう「女」だったわけです。

果たして、それは、「女」なのか?

というのが今日のテーマです。

結論から言うと、わたしとしては「それも女だ」と言いたい。
わたしのように「性的でない」ことは、「女」として存在するための不合格条件ではない、と。
でも、殊「女性の権利」や「女性の自由」みたいなことを言っている「女性」の方たちの言い分を分析すると、わたしは「女ではない」ことになるよね?
というが、割と長い間、居心地悪かったんですよね。今もですけど。
或いは、彼女たちの言う「女」だけが「女」ならば、わたしは「女」でなくていい、とも言えます。

彼女たちの言う「女」とは何か。
それは、男性という名の絶対悪から、常に、性的に眼差され、性的に搾取される、完全に無垢で罪のない、絶対的被害者、のことですね。

今の文章、全部に傍点をつけたい。

そのくらい、極端な話なんですね。

 

「AV出演強要」のニュースへの違和感

と、ここまで書いてしばらく手をつけられていなかったのですが、
その間にタイムリーな話題が。

headlines.yahoo.co.jp

この話題、どう思いますか?
「そうだそうだその通りだ!」って、思います?
わたしは、違和感ありました。
もちろん、意にそぐわない被害を受けている人は、法律で守られるべき。
でも、この団体の主張は、過剰な範囲にまではみ出ているんではないか?
「AVの需要があるから被害がなくならない」って、頓珍漢じゃない?

この頓珍漢さについては、主に現場の女性の方たちからも違和感の声があるようです。





んで、まあ、なんでこんな頓珍漢な主張が出てくるのか? と考えた時に、答えになるのが、冒頭の。

「女」は(全員)「男性という名の絶対悪から、常に、性的に眼差され、性的に搾取される、完全に無垢で罪のない、絶対的被害者」だと信じきっているからではないかと。

この(全員)というのは、実際には、「染色体XXのホモサピエンス個体」の中には「そうでない」個体も多量に含まれているんだけど、彼女たちにとってそれは「全く想定されていない、そんな存在を想像したこともない」ので、彼女たちの認識において「全員」となっている、という意味です。

こういうの、見るたびに、生きづらさで胸が詰まりますよ。
この理屈と、わたしは、二重の意味でそぐわない。

わたしは、性的なことを「悪」だと思ってないし、思ってないけど性的に眼差されることもない。

 

「すべての女性」の欺瞞 ハフポストのとある投稿

そもそもひっかかってたのは、これでした。

www.huffingtonpost.jp


もう、タイトルからして「すべての」ですもん。

その他にも、

男性はただ知らないのです。
性差別に直面しても、事態をおおごとにしないため女性がそれを黙認していることを。
それはあまりにも日常的で時には気付かずにやっていることもありますが、女性全員が経験しています。(下線筆者)

 

毎日のように女性は性差別に直面します。だからそれをわざわざ口にしたり、恋人や夫や友達に話したりしません。ただ対処するのみです。(下線筆者)


などなど…。
言いたいことはわかるし、怒りに基づきこの表現をした彼女からすれば、
「そんなことどうだっていいでしょ! 揚げ足を取って話をずらさないで!」
てなところだとは思うのですが、
何もこんな表現を使わんでも…とわたしは思います。

最終的には

男性の皆さん、これが女性であるということです。

と断言。
そうか…やっぱりわたしは女性じゃなかったらしい。

性の意味を理解する前から、女性たちは性的な対象として見られます。中身が子供のまま身体は大人へと成長します。車の免許がとれるようになる前から大人の男性にジロジロ見られ、声をかけられます。

なんだそうです。女の人って大変。とっくにお酒も飲めるようになってるけど、男の人にジロジロ見られることも、声をかけられることもなかったわたしは、ずっと惨めだと思ってきたけど、幸せなことなのかしら。

この立ち位置の何が辛いかというと、男からのみならず、同性である(あったはずの)女からも、「お前は女ではない」とされ、発言することすら許されないところです。
わたしのこの文章を読んでいても、自分のことを女として疑わず、上記のような「女だったら全員が毎日当たり前に受ける性的被害」を受けてきた、自他共に認める「女性」の方は、きっと不愉快なんだろうと思います。
「こっちは性的被害にあって傷ついているんだから、被害に遭わない奴は口を出すな」と思われる方も、少なくないでしょう。

性的暴力/性的被害に遭うことを肯定したいわけではもちろんないのです。
そういった被害者は優先的に守られ、救われるべきだと思う。
でも、それとこれとは違うと思うのです。

 

彼女たちが「すべての」と言いたがる理由

おそらく。
なぜ彼女たちのような「女性の被害」や「女性の権利」を訴える人が、主語を「性的被害者」でなく「女全員」にするのかというと、
もちろん単に思い込んでる人もいるのでしょうが、「被害者に非がある」と言わせないためなのではないかとも思うんです。
「女性」の中に「被害に遭う人」と「遭わない人」がいると、「遭わないやつもいるんだから、遭うやつは自衛が出来ていない、防げるのに防げなかった」、あるいはもっとひどいことを言われる、その論拠にされてしまう。
だから、「女性として生まれた」ことを「被害に遭った原因」とし、被害者に落ち度はない、被害者自身に出来る範囲のことでは防げないことだった、としたいんではないかと。

「じゃあ、性的でないわたしのような女性はどうなるの?」
「知らんがな!(ひっこんでろ!)」
ということなんでしょうね。
目的のためにはそれでいいのかもしれないけれど、人数も少ないし、現状傷ついてない相手だからいいのかもしれないけど、あなたたちが最も嫌う「搾取」を、我々にはしてもいいんですね。という気持ちには、どうしてもなります。
いずれ、わたしみたいなのがいる限り、その理屈は通らないってことになるんじゃないかなあ…とも思うのですが…。

 

「君は性的でない身体を生きたことがあるか?」

この話、終わらなそうなので無理矢理終わりに向かいますが、「性的でない女」であるということがいかに生きづらいか、居場所がなく感じるかということって、もう少し言われてもいいと思う。
さっき引用した記事のような、極端な言い方が、「正義」としてまかり通ってしまうことにはかなり苦痛を感じます。
「女は」「女は」って言うけど、染色体XXであるという共通項だけで、一緒にしないでほしい。
染色体XXのホモサピエンス個体、あるいは、膨らんだ乳房などの、女性的な身体特徴を持つもの、あるいは、女性の装いをするもの、あるいは自らを女性と認識するもの、など、「女」にはさまざまなレイヤーがありますが、それはそれだけで、「女」が理由で、「女」の全員が経験することなんて、無いと思うんですよ。

まあ、何が引っ掛かるって、最初のAVの問題もそうですが、「女」を「性的に搾取されるもの」と定義づけているのは、搾取される本人たちではなく(当事者も混じってはいるだろうが)、おそらくあまり関係のない周りの「女」たちなんじゃないかということです。
性的に搾取されて、嫌な目に遭った人は、わたしのような、誰からも性的接触を受けない身体を望むのかも知れない。
でも、騒いでる周りの人たちは、わたしになりたいかと言われたら、なりたくないんじゃないか?
性的でない身体を生きる覚悟はあるのか?
性的でない女の惨めさを少しでも想像したことがあるのか?

本当は、そんなことで惨めさを感じる必要はない、と思えるようになるのが一番なんですが、わたしを惨めにさせているのは、男たちよりもむしろ、そういった、女たちの「女は全員被害者だ」という発言に他ならないわけです。

正攻法の結論を言えば、「女は」というような拡大解釈的な主語を使わずに、問題を正しく把握し、正しく問題提起をしていくべき、となりますが、正直、そんな正論が通じるならとっくにそんなことなくなってると思います。
だからわたしはこう言う。
「君は、性的でない身体を生きたことがあるか?」
それを想像させるやり方が、今のところわたしが出来る唯一の方法だと思うのですが、なにか他にいいやりようはないですかねえ。

フェミニズムとコンプレックスとわたし

前段

きっかけはこのツイートを見たことです。



この段階で、わたしはこの「フェミニズム=禁欲主義みたいになっちゃっ」てるという言葉の指す具体的な意味を知らなくて、単に「一般的な」みたいな意味だと思いました。

これに対しわたし。




で、このあと手繰っていくとこんなものを発見。



これに対するリプライに、以下。




と、ここでようやく、「まなざし村」というキーワードが今上がっていて、最初のフェミニズム=禁欲主義みたいになっちゃっ」てるというのも、おそらくこのことだろうと気づきました。

おいでよまなざしの村 - Togetterまとめ

↑これが発端のようです。長いので頭の方しか読んでません。
簡単に言うと、巨乳海女ポスター問題に代表されるような、マンガアニメ領域に対して敵意をむき出しにする「自称・フェミニスト」たちをくくって揶揄するような話のようです。

ふむ。
 
この話題に対して、わたしは非常に居心地の悪い思いがしたんですね。
なんというか、立ち位置が取りにくいんです。
たまたま、先に引用した自分のツイートの中でも、「エセフェミ」という言葉を使いましたが、そういうのとは一線を画したい。
でも「エセフェミ」は、論点や論法は間違いだらけだけど、彼らが攻撃している対象が必ずしも批判に値しない、というわけでもなく、たしかに問題がある場合も往々にしてある。
なんてなことを考えつつも、わたしはこんなツイートをしました。



これはつまり、何が言いたいのかというと、「わたしはエセフェミじゃない」ということなんです。
「まなざし村」はほとんど絡んでこなくなると思いますが、わたしの私的なコンプレックスとフェミニズムのややこしい話なんかをしようかな、というのが今日のテーマです。
(ほんとはツイッターでだらだらまとめずに書きたいんだけど、なんのためのブログだってなるので…でもブログ用にまとめてもいないので、今日もだらだらいきます)

非モテのわたし」

それが、コンプレックスとしてひじょーに「ダサい」ということは重々承知なのですが、
まあー、モテない。
わたしの半生は、もうね、モテない。の一言で集約されるような、そんな人生でした。
この話は今後繰り返ししていくことになると思うのですが、とにかくね、ひどいもんですよ。
学校はずっと共学でした。中学から一貫校の私立に通ってました。私服だったので、制服という「女子」の記号を身につけた経験はありません。

中学時代、色恋沙汰なし。
高校時代、彼氏なし、男の子から告白されたこともなし。
(※ただしこの時期女の子と付き合っていて、後に自分はヘテロであると自覚するのですが、それはややこしくなるので今回は話しません)
大学時代、入学直後にサークルの男の子に一目惚れされるも付き合わず、ふった直後別の女の子と付き合っていたので、わたしじゃなくても良かったことが判明。その後色恋沙汰なし。
大学院時代、やっとロストバージン、その時わたし、24歳。

そう、わたしは24まで処女だった。24歳処女。どうなの?これ?
いや、統計的に言えば、いまやそれは「一般的」あるいは「平均的」であるかもしれない。
でも、精神的、イメージ的にはどうなの。「ヤラハタ」という言葉を最近知ったけど、20歳で未経験なことも「やらずのハタチ」として敬遠されるのに、それからさらに4年。
どんな女が想像されるんだろう。あか抜けていなくて、不潔で、醜く、性格が悪い。
だいたい、「女の価値」っちゅーものに、「若さ」は間違いなく含まれている。
若いのに、セックスの対象にならない女って、どうなんだ。それってもはや女じゃないんじゃないか?

とはいえ、周りにもいます、処女だという友だち。
彼女たちにそんなマイナスイメージは持たない。
それはみんな可愛くて、性格がいいことを知ってるから。
彼女たちが未経験だという理由は、自分にとっていいと思える相手がいないからだったり、本当は魅力的なのに自分に自信がなく積極的になれないからだったりとか、あるいはそういった人間関係を単純に必要としていないからだったりして、
彼女たちの落ち度じゃない。

でもさ、自分は違う。
わたしはセックスしたかったし、自分は魅力的だと、かつては、勘違いしていた。
この言い方は非常に誤解を招くと思うが、また後日ちゃんと話すので赦して欲しい。
と言い訳した上で言うと、わたしはただモテないどころか、水商売のスカウトもされないし、究極的に、痴漢にも遭いません。
恋愛対象にならないし、金銭的な性的価値もない、ただ浪費する性としてすら見なされない。

ひくわーーーーーー

何が悪いのかわかんないですが、わたしは決定的に、女として失敗しているようなのです。
外見がわるいのか、性格がわるいのか…。
自分の目には外見は、低く見積もっても下の上~中くらいだと思っているので、まあぎりぎり普通の範囲には収まると思うので、性格の問題でしょうか。(ちなみにほんとは中くらいだと思ってます、思い上がりすみません)
でも水商売のスカウトや痴漢は、わたしの性格を知らないはずなので、やはり見た目でしょうか。

ま、そんな感じで、わたしはよくいる「非モテ」のひとりです。
ほかの非モテのひとも、多かれ少なかれこんな悩みを持っているのかなあと(ちなみにわたしは、今まで長々書いた自意識自体の問題点もある程度自覚してますが、それはまたいつか)。

でもね、非モテこじらせてエセフェミになるひととは、わたしは違うんです。
と主張する理由を以下に。

わたしが非モテなのは誰のせい?

私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』というマンガがあるらしいですね。
読んだことないですけど、たぶん「まなざし村」にいる非モテのエセフェミのひとたちはこれに近い考え方をしてるんだと思います。
非モテである→モテを肯定すると辛い→モテ=性的に見られることを「悪」とする→性的に見るもの≒男性を「悪」とする→性にまつわることをまるっと憎む、「悪」として攻撃する
とまあ、こんな感じの図式だと思うんですね。
つまり、非モテの原因を自分の外側に求めている。
自分を変えずに、周りを変えようとしてる。

ちなみになんで彼女らが「フェミニズム」という学問と結びついてしまったのか、ですが(本当はこっちが重要で精査する必要があると思うんですが)、
本来的に「フェミニズム」は「男性主体の言語文化によって形づくられた、“男性らしい男性にとって都合の良い”“女性らしさ”を解体する」ようなアプローチだと思うんですよね。
だから、フェミニズムは「女性」を解体するもので、「男性」を攻撃するものではない。
でも彼女たちはそれがわからないんですよね。
たとえば、いわゆる「性の二重基準」、ダブルスタンダードも、あれは矛盾するものを求める「価値観」を指摘したものであって、それに縛られているのは男性もそうなんですよ。個人の意思を超えたところで、その価値観を内面化させられてる。
それがわからずに彼女たちは、「その価値観は男性が女性に押し付けてる!」とかって使っちゃうんですよ。
しかもこの段階になってしまうと、もはや自分の非モテの理由、とかいうそもそもの話が忘れられてる。
憎しみの原因はそこにあるんだけど、それを忘れて、ただただ憎らしい「性」と「男」を叩きたくて潰したくて、支離滅裂なことを言っている。
ま、ここは話していくと正当な「フェミニズム」の話になるので、今日はこの辺で。

じゃあわたしは何が違うかというと、わたしは自分がモテないのは自分のせいだと思っているんですね。
それは、さっきの文章からも明らかですよね。
わたしになにか重要な欠陥があるから、わたしは性的な存在ではいられなくて、まともな普通の女の子なら性的な存在で居られるはずだ、と。
こういう語り口な時点で、わたしは性を否定してないし、性的に見られたいと思ってる。
そうだ、わたしはモテたさを捨ててないんですね。
たぶん、まなざし村民は、自分がモテたいと思ってることを認めたくない。
認めたら惨めになるから。「モテ」なんていう価値観が間違っているのであって、私はそんなものに惑わされない! というスタンスでいたいんじゃないかしら。

 

非モテを自分で認めているメリット

たしかに、わたしは惨めです。モテたいのにモテないから。人並みに普通で居たいのに普通ではないことを自覚してるから。
ただ、わたしのスタンスでも、外側の問題に目を向けることは出来ます。
男性や性を憎まず、「男性」や「女性」や「性」を規定している、「常識」「ふつう」みたいな共有された価値観――こういうものの話をするとき、ジェンダー論界隈ではよく「法」という言葉を使いますが――そういったものに問題はないのか? というアプローチですね。

これは、本来的な「フェミニズム」あるいは「ジェンダー論」の観点だと、自分では思っています。
性欲そのものは悪いものではないです。男性が女性を性的に見ることも悪くない(反対もあるし同性間も、性別という概念を介さないこともあるかもしれない)。
でもその中で「非モテ」が苦しまなきゃいけない理由もないわけです。
その問題の解決には、「モテ」とか「性的である」こととか、それをどう捉えるか、というレイヤーの方が重要なわけで。

なんて話も、本筋の「フェミニズム」の話になってしまいますね。
まあ、雑にいうと、わたしは「まなざされない者」なので、当然「まなざし村」とは関係がないのです。
というか、自分だって「まなざされない」のに、自分のことを忘れて「男性」から「巨乳アニメキャラ」へのまなざしに怒っているというのは、なんともまあ、滑稽です。
そういうことをするから、「ブスのババアフェミキチがヒステリーを起こしてる」なんて思われるのです。
なんにせよ、こと性の領域を語るなら、自分の身を削って、自分の立ち位置を明らかにしなきゃいかんのです。
モテないなら、モテない私、という立場からモノを言わないと、それは欺瞞になってしまう。
わたしはコンプレックスが深いですが、その分自分の立ち位置を自覚して話すことが出来ます。
それが「まなざされない者」という類型にないものなので、なかなか困難がありますが…。

ちなみに冒頭で引用した自分のツイートにある、「意識高いリベラルヤリマンフェミ」ですが、これは性的に解放された女性を賛美するという類型で、非モテエセフェミよりはずいぶん質が悪くないとは思いますが、彼女たちは非常に女性原理主義的で、つまり、「女性」という単一の価値観、女性であるということに単一の判断基準が確固として存在すると信じ、「先天的に女性である」ことをアイデンティティにして、それを共通項としてつながり、徒党を組むことが当たり前に出来ると信じ込んでいるので…
まあ、簡単に言えば、彼女たちは、わたしのような「まなざされない女」がこの世にいるなんて考えてもいないのです。
女性の性を肯定するのは、現状に対しては一歩進んだ良いアプローチだとは思いますが、彼女たちにとってわたしは「存在自体が理解できないもの」になってしまうので、やはり与することはできないですね。

結~フェミニズムとわたし

まあ、こんなような理由で、わたし個人としてはとても真っ当に、誠実にフェミニズムの問題と向き合っているつもりなんですが、
世間で言われているフェミニズムのイメージ/あるいは実際によく見る「自称・フェミニスト」の派閥や類型と、わたしのスタンスはどうも合致しない。
「まなざされない」というスタンスで語られているフェミニズム論・ジェンダー論を、寡聞にしてわたしは聞いたことがありません。
もし知ってたら教えてください。純粋に知りたい。
わたしは、わたしの認識している意味合いの中では「フェミニスト」と名乗っても構わないとは思っているのですが、その言葉から世間の多くが受け取る意味は、わたしの意図とは相当離れてしまうんだろう、とは思っています。

なので、まあ、こういう「フェミニズム」にまつわる話題が出ると、なんとも居心地が悪くなってしまうんですよね。
わたしの意見を言う前に、何重にもあるその「認識の違い」の話をしなきゃいけなくなるので。
今回はなんというか、うまいことというか、その「フェミニズム」そのものを揶揄するような話題だったので、考えがてら書いてみました。
結構いろいろ問題の種をまいてしまった気もしますが…
まあ、今日はこんなところで。次はもうちょい面白いことを書きたいです。