nach meiner Meinung

「わたしの意見では」。主にジェンダー領域に関わるような話を、学問レベルには足りないくらいのところで書いていきます。

君は性的でない身体を生きたことがあるか?

前段 「性的でない女」は存在するのか

前回、「わたしは非モテである」と書きましたが、厳密に言うと少し違います。
非モテ」は「恋愛対象としての引き合いがない」ということだと思いますが、
わたしの場合は更に広く、「性対象としての引き合いがない」なんですね。
「付き合いたい、セックスしたい」とも思われなければ、「付き合いたくないけどセックスはしたい」とも思われず、究極的にはエロいな、触りたいな、見ていたいなという類の感情を一切引き起こさない、そういう「女」だったわけです。

果たして、それは、「女」なのか?

というのが今日のテーマです。

結論から言うと、わたしとしては「それも女だ」と言いたい。
わたしのように「性的でない」ことは、「女」として存在するための不合格条件ではない、と。
でも、殊「女性の権利」や「女性の自由」みたいなことを言っている「女性」の方たちの言い分を分析すると、わたしは「女ではない」ことになるよね?
というが、割と長い間、居心地悪かったんですよね。今もですけど。
或いは、彼女たちの言う「女」だけが「女」ならば、わたしは「女」でなくていい、とも言えます。

彼女たちの言う「女」とは何か。
それは、男性という名の絶対悪から、常に、性的に眼差され、性的に搾取される、完全に無垢で罪のない、絶対的被害者、のことですね。

今の文章、全部に傍点をつけたい。

そのくらい、極端な話なんですね。

 

「AV出演強要」のニュースへの違和感

と、ここまで書いてしばらく手をつけられていなかったのですが、
その間にタイムリーな話題が。

headlines.yahoo.co.jp

この話題、どう思いますか?
「そうだそうだその通りだ!」って、思います?
わたしは、違和感ありました。
もちろん、意にそぐわない被害を受けている人は、法律で守られるべき。
でも、この団体の主張は、過剰な範囲にまではみ出ているんではないか?
「AVの需要があるから被害がなくならない」って、頓珍漢じゃない?

この頓珍漢さについては、主に現場の女性の方たちからも違和感の声があるようです。





んで、まあ、なんでこんな頓珍漢な主張が出てくるのか? と考えた時に、答えになるのが、冒頭の。

「女」は(全員)「男性という名の絶対悪から、常に、性的に眼差され、性的に搾取される、完全に無垢で罪のない、絶対的被害者」だと信じきっているからではないかと。

この(全員)というのは、実際には、「染色体XXのホモサピエンス個体」の中には「そうでない」個体も多量に含まれているんだけど、彼女たちにとってそれは「全く想定されていない、そんな存在を想像したこともない」ので、彼女たちの認識において「全員」となっている、という意味です。

こういうの、見るたびに、生きづらさで胸が詰まりますよ。
この理屈と、わたしは、二重の意味でそぐわない。

わたしは、性的なことを「悪」だと思ってないし、思ってないけど性的に眼差されることもない。

 

「すべての女性」の欺瞞 ハフポストのとある投稿

そもそもひっかかってたのは、これでした。

www.huffingtonpost.jp


もう、タイトルからして「すべての」ですもん。

その他にも、

男性はただ知らないのです。
性差別に直面しても、事態をおおごとにしないため女性がそれを黙認していることを。
それはあまりにも日常的で時には気付かずにやっていることもありますが、女性全員が経験しています。(下線筆者)

 

毎日のように女性は性差別に直面します。だからそれをわざわざ口にしたり、恋人や夫や友達に話したりしません。ただ対処するのみです。(下線筆者)


などなど…。
言いたいことはわかるし、怒りに基づきこの表現をした彼女からすれば、
「そんなことどうだっていいでしょ! 揚げ足を取って話をずらさないで!」
てなところだとは思うのですが、
何もこんな表現を使わんでも…とわたしは思います。

最終的には

男性の皆さん、これが女性であるということです。

と断言。
そうか…やっぱりわたしは女性じゃなかったらしい。

性の意味を理解する前から、女性たちは性的な対象として見られます。中身が子供のまま身体は大人へと成長します。車の免許がとれるようになる前から大人の男性にジロジロ見られ、声をかけられます。

なんだそうです。女の人って大変。とっくにお酒も飲めるようになってるけど、男の人にジロジロ見られることも、声をかけられることもなかったわたしは、ずっと惨めだと思ってきたけど、幸せなことなのかしら。

この立ち位置の何が辛いかというと、男からのみならず、同性である(あったはずの)女からも、「お前は女ではない」とされ、発言することすら許されないところです。
わたしのこの文章を読んでいても、自分のことを女として疑わず、上記のような「女だったら全員が毎日当たり前に受ける性的被害」を受けてきた、自他共に認める「女性」の方は、きっと不愉快なんだろうと思います。
「こっちは性的被害にあって傷ついているんだから、被害に遭わない奴は口を出すな」と思われる方も、少なくないでしょう。

性的暴力/性的被害に遭うことを肯定したいわけではもちろんないのです。
そういった被害者は優先的に守られ、救われるべきだと思う。
でも、それとこれとは違うと思うのです。

 

彼女たちが「すべての」と言いたがる理由

おそらく。
なぜ彼女たちのような「女性の被害」や「女性の権利」を訴える人が、主語を「性的被害者」でなく「女全員」にするのかというと、
もちろん単に思い込んでる人もいるのでしょうが、「被害者に非がある」と言わせないためなのではないかとも思うんです。
「女性」の中に「被害に遭う人」と「遭わない人」がいると、「遭わないやつもいるんだから、遭うやつは自衛が出来ていない、防げるのに防げなかった」、あるいはもっとひどいことを言われる、その論拠にされてしまう。
だから、「女性として生まれた」ことを「被害に遭った原因」とし、被害者に落ち度はない、被害者自身に出来る範囲のことでは防げないことだった、としたいんではないかと。

「じゃあ、性的でないわたしのような女性はどうなるの?」
「知らんがな!(ひっこんでろ!)」
ということなんでしょうね。
目的のためにはそれでいいのかもしれないけれど、人数も少ないし、現状傷ついてない相手だからいいのかもしれないけど、あなたたちが最も嫌う「搾取」を、我々にはしてもいいんですね。という気持ちには、どうしてもなります。
いずれ、わたしみたいなのがいる限り、その理屈は通らないってことになるんじゃないかなあ…とも思うのですが…。

 

「君は性的でない身体を生きたことがあるか?」

この話、終わらなそうなので無理矢理終わりに向かいますが、「性的でない女」であるということがいかに生きづらいか、居場所がなく感じるかということって、もう少し言われてもいいと思う。
さっき引用した記事のような、極端な言い方が、「正義」としてまかり通ってしまうことにはかなり苦痛を感じます。
「女は」「女は」って言うけど、染色体XXであるという共通項だけで、一緒にしないでほしい。
染色体XXのホモサピエンス個体、あるいは、膨らんだ乳房などの、女性的な身体特徴を持つもの、あるいは、女性の装いをするもの、あるいは自らを女性と認識するもの、など、「女」にはさまざまなレイヤーがありますが、それはそれだけで、「女」が理由で、「女」の全員が経験することなんて、無いと思うんですよ。

まあ、何が引っ掛かるって、最初のAVの問題もそうですが、「女」を「性的に搾取されるもの」と定義づけているのは、搾取される本人たちではなく(当事者も混じってはいるだろうが)、おそらくあまり関係のない周りの「女」たちなんじゃないかということです。
性的に搾取されて、嫌な目に遭った人は、わたしのような、誰からも性的接触を受けない身体を望むのかも知れない。
でも、騒いでる周りの人たちは、わたしになりたいかと言われたら、なりたくないんじゃないか?
性的でない身体を生きる覚悟はあるのか?
性的でない女の惨めさを少しでも想像したことがあるのか?

本当は、そんなことで惨めさを感じる必要はない、と思えるようになるのが一番なんですが、わたしを惨めにさせているのは、男たちよりもむしろ、そういった、女たちの「女は全員被害者だ」という発言に他ならないわけです。

正攻法の結論を言えば、「女は」というような拡大解釈的な主語を使わずに、問題を正しく把握し、正しく問題提起をしていくべき、となりますが、正直、そんな正論が通じるならとっくにそんなことなくなってると思います。
だからわたしはこう言う。
「君は、性的でない身体を生きたことがあるか?」
それを想像させるやり方が、今のところわたしが出来る唯一の方法だと思うのですが、なにか他にいいやりようはないですかねえ。