nach meiner Meinung

「わたしの意見では」。主にジェンダー領域に関わるような話を、学問レベルには足りないくらいのところで書いていきます。

#MeTooに共感できず苦しんでいるひとへ、わたしたちは何ができるか

第一部:#MeTooに共感できずに苦しんでいるひとへ

 「ほとんどすべての女性が性的な被害に遭っている」
セクハラや痴漢などの被害に遭ったことがない女性を見つける方が難しい
女性は常に男性の性的な視線にさらされている」
「こういった役割を押し付けられるのが、女性として生きるということ
こんな文章を見かけるたびに苦しくなっているひと、いませんか。
わたしもそうです。
そしてこの文章は、そういったひとだけに向けて書いています。
(そうでない方はもしかすると不快に思われるかもしれません。その場合はページを閉じてください)
 
いま、#MeTooの動きが盛んです。
そのこと自体、社会的に非常に意義のあるムーブメントだと思います。
ただ、それに伴い、冒頭に書いたような文言に出くわす回数が増えました。
それを見るたびにわたしは、居心地の悪い、息の詰まる思いがします。
 

幸いにも性暴力被害経験のないわたし

わたしは痴漢、セクハラ、そのほか性暴力の被害に遭ったことが、ありません。
28年間、日本で女性として生きてきて、満員電車での通学も、会社勤めもしましたが、幸いにもそのような被害に遭うことなく生きてきました。
それは幸いなことのはずです。性暴力の被害には誰も遭いたくありません。もちろんわたしもです。
ですが、どうにも、「性被害に遭ったことのない女なんて存在しない」、さらに言えば「存在してはいけない」という圧力を、感じてしまうことがあります。

 

被害者の理論を妨害する存在として

性暴力の被害に遭うのに、被害者に落ち度があるとするのは誤った考えです。
露出の多い服を着ていたのだろうとか、夜道をひとりで歩くからいけないのだとか。
そんなことはあるわけがありません。誰でも被害に遭う可能性があります。
それを証明するために、声をあげるひとたちは言います。
「女性はみんなこういう目に遭っている」と。
彼女たちは悪くありません。
ただ、自分の存在が、彼女たちの正義を実行するための理論を成立させなくしているようで、生きていて申し訳ないという気持ちになります。
「性被害に遭ったことのない女」がいなければ、性別という所与のもののせいで被害に遭ったのであって、本人の言動が被害を引き起こしたという説は論破できるのに。
わたしみたいな、女だか女じゃないんだかよくわからないものの存在のせいで、わたしが身体的に女性であるばっかりに、「女でも被害に遭わないやつがいるんだから、被害に遭ったやつは自分が悪い」という論の方を補強してしまう。
女なのに、誰からも性暴力を受けていなくて、ごめんなさい。

そんな気持ちになって、自分の存在が嫌になることが、しばしばあります。

 

同じ思いをしているのはわたし/あなたひとりじゃないよ、たぶん。

本当は、誰もそんなことは言っていないのです。だれもわたしのことを責めてはいないのです。ただ、「性被害に遭ったことのない女」がこの世に存在するという視点は、ほとんど失われています。
でも、わたしのように苦しんでいるひとは、他にもいるのではないか。
わたしはそういう人の声を聞きたい。自分だけじゃないと安心したい。
だから自分が「ここにいるよ」と言ったら、誰かが安心できるんじゃたいか。
そう思って筆を執りました。

わたしのようなものの存在が、被害を受けた人たちの障壁になってはいけません。
だからこれは、そういった人たちに何かを求めるものではありません。
これは純粋に、わたしのような、健やかすぎるほど健やかに生きてこられた、それゆえに#MeTooの動きの中で息苦しくなっている、あなただけに向けられたものです。

 

第二部:わたしたちは何ができるか

さて、ではわたしたちはどうしましょうか。
ひとりだと思うとただただ辛くて自分を責めるばかりですが、同じような誰かがいると考えると、前向きに考えようという気がしてきます。
ここからは、わたしたちは何ができるかを、提案するつもりで書きます。
こうしろと押し付けるわけではありません。
ただ、もしこれで、気が楽になったり、自分で他のやりようを考えるきっかけになったら嬉しいです。

1.情報はシャットアウトしていい

わたしはツイッターが好きでしょっちゅう見てますが、そうすると#MeTooのツイートや記事がたくさん流れてきます。
わたしはなぜだか、それを積極的に読んでしまうんですね。
ジェンダー論をやっていて、もともとそういう話題に関心があるからかもしれません。
けれど見るたびに、やはり自分は「女性」じゃないんだと落ち込み、そんな風に落ち込んでいることに自己嫌悪してしまいます。
なので、しばらくは見るのをやめてみようかなと思っています。

#MeTooは、誤解を恐れずいえば、「正しい」ムーブメントです。わたしは、それを避けてしまう自分が、それに共感できない自分が、すごく「正しくなくて」、「社会不適合」な気がしてしまいます。
だけど、たぶん、きっと、そんなことはないんだと思います。
ひとそれぞれバックグラウンドが違うのだから、正しいものでも正しく受け取れないこともあります。
ただ、わたしたちはそれを「正しく受け取れない」と自覚しています。
では距離を置けばいいんじゃないか。
「見ない」ことは活動を妨害することにはなりません。
活動はわたしたちを苦しめるためにあるわけでもありません。
見ないという選択肢を持つようにしようと思います。

2.加害に加担しない

これはわたしたちだけでなく、すべての人が意識すべきことです。
しかし、わたしたちは、生きているだけで加害者側の論拠になってしまうという状況で、だからこそ苦しくて、申し訳ないという気持ちに苛まれています。
(勿論この考え方自体、実際は事実ではないはずです。わたしたちを勝手に論拠にすること自体が加害行為とも言えます。ただし少なくともわたしはこの考え方を内面化してしまっているので、その前提で進めます)
だからこそ、少しだけ意識的に、加害には加担しないという姿勢を取りたいと思っています。
たとえば、飲み会の席で、他人のセクシャルな内容を第三者が笑いにするようなシーンに直面したら、自分は笑わない。
積極的に行動を起こすのは難しくても、何かをしない、というアクションを少しでも取ってみたら、自分は加害に与しないという意思表示になるのではないかと思います。

3.被害者を助ける

上記の内容からもう一歩踏み込んで、いつかは被害者を助けるような動きが出来ればいいなと思っています。
先ほどの例だったら、笑わないという消極的なアクションだけでなく、それに対してきちんと指摘ができるような。
(ただ、こういう時対象にされている人が本当に嫌がっているのかわからないというのも本音としてあります。本人も楽しんでいる、あるいは、セクハラをされるよりも場の空気は悪くなる方が嫌だと思っている、などの可能性を考えるとなかなか動けません。こういう時の対処法、知りたいです)

キャリー・フィッシャーのエピソードで、すごく感銘を受けたものがあります。
友人からある大物プロデューサーのセクハラの相談を受けたキャリー・フィッシャーが、そのプロデューサーに「ティファニーの箱に入った牛の舌」を送り、添えられたメモには「今度彼女やほかの女性に触ったら、次はあなたのモノを箱に入れる」と書いてあった、というエピソード。

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ああ、自分はこういう風になるべきなんだな、と思いました。
もちろんこれは極端にせよ、こうやって被害者を全力で守って、加害行為にNOを突きつけるひとになりたいな、と。
そして、わたしみたいなひとはこういう役割をやりやすいのかな、とも。
そういった被害に遭わないということは、わたしは加害をするタイプにとって苦手な人種なのかなと思っています。なので、わたしがこんな風に強く言っても、わたしに対しては加害行為はできず、被害者が直接言うよりも安全で強烈に伝わるのかな、と。

4.自分は被害に遭わないと過信しない

これはわたし自身というか、わたしのように悩んでいる皆さんにお伝えしたいことです。
上に、「わたしは被害に遭わないタイプだから安全」と書きましたが、一方で、いつ被害に遭うかはわからないと思っておく必要があります。
性別年齢問わず、誰しもが被害者になりうるんだと思います。
いや、現実を見ると、実際そんなこともないとも思うことも多々あるのですが、少なくともそれが「正論」です。
可能性としては、あなたも、そしてわたしでさえも、いつかは被害に遭ってしまうかもしれない。
冒頭に書いたように、性暴力の被害者にはなんの落ち度もありません。
とはいえ、過度なリスクは、明確な目的がない場合にはできれば取らない方がいいとも思います。
自分は絶対に被害に遭わないから、と言って、わざとリスクを取るようなことは、しないで済むならしない方がいいと思うのです。
自衛しろ! と言いたいわけではないのですが、捨て鉢な行動は、どうかしないで欲しいです。

以上が、わたしの考えた、わたしたちにできることです。
まずはわたしたち自身の精神的な平穏、これを第一に求めていいと思います。
そして、自分以外を気に掛ける余裕が少しできたら、他の人のためになにかをする、あるいはしない、そういう選択ができたらいいな、とわたしは考えています。

 

最後に

ここまで読んでいただきありがとうございました。
だれかの、なにかの助けになればうれしいです。
最後の最後に、もし、#MeTooで発言をしている当事者の方で、これを最後まで読んでくれた人がいるなら、あなたにならできるお願いをさせてください。
ぜひ、今後も声をあげてください。#MeTooでの発言が広がることを、わたしは応援しています。
ただ、その時に、もしよければ、「女性だから~」というような言い方を、避けてもらえるととてもうれしいです。
わたしたちもそうですし、性暴力の被害者には男性の方もいると思います。
もしかしたらそういった人たちも、「女性だから被害に遭う」というような文章を見たら、声をあげづらく感じるかもしれません。
悪いのは加害行為です。加害行為が存在することが被害の原因に他ならないと思います。
だから、被害者を何かでくくるのは、また別の苦しみを生みかねません。
もし可能なら、このことを頭の片隅にでも置いておいてくれると幸いです。